日和見バナナ
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Fence-sitting


活動家時代の記録 ♯15 
エチオピア・ウガンダ訪問 第14日目
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1998年8月16日 
 
エチオピア出国。荷物を預けるのに小一時間かかったが、外貨申請書もチェックされず、あいかわらずわけのわからないアベバ空港を飛び立った。ムセが、「また会おう」と言った。私もそう言った。きっとまたすぐに会える気がして。YEHのために、私には世界のたくさんの国に、滅多に会えないけれど手紙で力づけあえる友人がいる。会えばまるで旧知の友人のように「元気だった?」と言いあえるような友人がいる。日本にいても会わない友達がたくさんいるのに、こんなに毎年、世界のYEHメンバーに会って、「元気だった?」って話せるなんて、考えてみれば不思議なことだ。いつか、飢餓が終わって、私たちも、飢餓の話をするためではなくフレンドシップのために会えればいいと思う。
私たち若者を支えているのは本当に、このフレンドシップだけだ。あまりに稚拙かも知れない。若いからこそ言えることだ。現実が見えてしまったらもう駄目だろう。私は海外に行くたびに、一抹の不安を感じる、各国のYEHのメンバーと話すのは嬉しい。けれど一方で、いつもいつも私は彼らを前に、相手は本当のところ、飢餓の現状なんて実際は何も知らない私たちのような日本人のことをどう思ってるのだろうと考え込んでしまう。言葉がすべては通じないから、深く話し合わないから笑っていられるのであって、もしも言葉が全部通じてしまったとしたら、私たちは友達でいられるのだろうか。生まれた環境も経済状態も全然違う。「文化」などという言葉では片付けられない。生まれてから今日まで「飢餓」や戦争など見たこともなく暮らしてる私たち日本人と、毎日物乞いの子どもたちの横を通って学校に行ってきたムセたちエチオピア人。人間が戦争で死ぬのを見てきたバングラデシュ人。果たして対等な友達になれるのだろうか。本当に肩を組んで「飢餓を終わらせよう」などと言えるものだろうか。表面的には笑顔でおしゃべりをしていても、実際は深い溝があるように思う。


<終わり>


        
 

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