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開発と外部者 ♯1 
開発ポルノ批判と自己反省―固定化された「途上国イメージ」
2003.4.30
私がいつもお世話になっている、マニラに長く住んでおられるジャーナリスト(自称ヤクザ)のPさんは、フィリピンの「パヤタス」のゴミ山でゴミを拾う子どもたちや、スラムの悲惨な生活ぶり、アフリカの飢饉に「飢える」子どもたちなどの衝撃的な映像で人目を引き、寄付を募るやりかたに対してつねに批判的だ。彼はそれを「開発ポルノ」と呼んでおられる。

大学の授業で見たビデオの中に、ある一幕があった。「We are the World」で有名な1987年のエチオピア大飢饉の際に、あの歌の背景に、募金を求めるメッセージと共に、裸の子どもたちがセンセーショナルに映されたのを見たあるアフリカ人が、「白人の裸を写せばポルノなのに、アフリカ人の裸を写せばチャリティーであり、称えられるのか。」と発言していた。

開発ポルノ映像のさらに悪いのは、そのように衝撃的な映像を映しておきながら、「彼らはこんなに貧しい。でも、日本人の忘れてしまった家族の絆がここにはあります」というストーリー展開をするところである。貧困をテーマにしたニュースやドキュメンタリーなどを通じて、途上国に関心を持つ人々が増えるのはよいことかもしれない。けれども、日本の人々はすぐに「彼らはモノやカネはなくとも、心は豊かだ」とか、「大自然の中に生きる人々のあたたかさ」だとか、「子どもたちの目は輝いている」とか、渡航先の途上国を極端に美化したがる。スタディツアーの報告書にはお決まりのようにこうしたフレーズが氾濫し、「ボランティアしたい人たち」の共感を集めている。
日本にはなくなってしまった素朴な生活や家族愛、そこに入り込んで共に汗をながす日本人、結局、そのような、美化されたイメージ上のストーリーが、日本ではいまだに受けるのだ。イメージの先行。そこからは、「事実」などすっかり抜け落ちてしまっている。

こんなにもスタディツアーがさかんになって、大学生もこぞってボランティアだのワークキャンプだのと東南アジアに繰り出すようになって、それなのになぜ、いまだに、人々の「貧困」のイメージはこんなにも貧困なのだろう。なぜ人々は、「フィリピンは貧しいけれど人々は日本人よりも生き生きしている」「貧しくても心は豊かだ」などと、口にするのだろう。人々は「自分の目で」見にきたはずなのに、なぜ、イメージの上の言葉ばかりが先行するのだろう。

私は日々、イメージに振り回されず、自分の言葉で話したい、と切に思っている。上のような批判をしている自分自身も、多かれ少なかれ、そのような映像メディアや、映像に限らず、書物や、流言から入ってくる「偏ったイメージ」に支配されているに違いない。

私も数年前は、いろいろなところで、「NGO関係の人を紹介してください」などと口にしたり、メーリングリストに流したことすらある。「NGO」というのもまたイメージの一つであり、プラスのイメージのかかった語である。残余概念でしかない有象無象の「NGO」なるものを勝手に「善きイメージのもの」に置き換えて、「NGO関係者」などという意味不明な言葉で片付けてしまうなど、はなはだしい暴挙である。
それなのに、私は現在、開発ポルノを批判し、スタディツアー参加者を批判し、自分よりものを知らない人を軽蔑してさえいる。マニラで会う日本人の方から、「あなたもNGO関係者の方ですか?」と言われて、「違います」となぜか強い語調で答えてしまったり、「NGO関係者ってあなたはいったい、どういう人を指しておられるのですか?」と詰問したくなる気持ちを辛うじて抑えていたり、「だいたい、マニラには『自称:NGO関係者』の日本人が多すぎる。しかも、それを得意気に話すなんて…」との不快感を禁じえなかったり、初めてスタディツアーでマニラに来る日本人学生に対して、「この子、事前に勉強してから来たのかしら…」と苛立ちすらおぼえてしまったりする。
自分はいわゆる「NGO関係者」と一緒にされたくないのだとか、人よりは少しくらい「NGO」のことを知っているのだとか、自己満足でマニラにボランティアに来るような日本人とは違うのだといったような気持ちが自分の中にないとは言い切れない。

ただ、そのように考えはじめると何の意見も発することができず、批判もできず、思考が泥沼化するので、日頃は、そういったところにはできるだけ目を向けないようにしている。
誰にでも多かれ少なかれそういった一面はあるのだろうか。単に私が謙虚さに欠けているだけなのかもしれないけれど…。


        
 

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