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Fence-sitting


開発と外部者 ♯2 
途上国の「現実を知る」とはどういうことか―セブ島訪問で考えたこと―
2003.6.11
6月の第1週目、セブ島に行ってきた。1年前にイロカノ語圏のバギオに行って以来、タガログ語圏から出るのは二回目。ルソン島から出るのは初めてのことだった。

今回の主目的は、SPAN(Solidarity & People's Advocacy Network)という団体によるFact-finding Mission(スタディツアーのようなもの)への参加だった。日本のJBIC(国際協力銀行)の融資で行われている有償資金協力のプロジェクトであるCebu South Reclamation Project(セブ南部埋め立てプロジェクト)とCebu South Coastal Road Project(セブ南部海岸道路プロジェクト)の周辺住民(とくに、都市貧困層と呼ばれる人々)への影響に関するFact-findingである。

プロジェクトの内容とこのミッションがどのように行われたか、そして、それに対する私の意見などについては後日、新しく独立したページを作って公開予定なのでここには書かない。あくまでもこのページのテーマは、「ひよる(日和る)」なので、今日もやはりそれに沿った話を。
セブ市は神戸市のような町で、山の手のアップタウンと海沿いのダウンタウンに分かれている。Fact-finding Missionが行われた漁村などはダウンタウンの「場末」だし、私が2晩泊まった一泊300ペソの安宿も、ダウンタウンの、あまり治安のよくないとされている場所にあった。ダウンタウンの町並みは、マニラと大差ないといった感じである。治安は明らかにマニラよりもずっといいけれど、人が多くて混雑しているし、行商人がたくさんいて、道路も汚い。
一方、アップタウンには、華人系の上流階級の人々が大きな住宅を構え、コンドミニアムや高級住宅地も並んでいる。

それが、上のような主目的でセブに来ると、必然、セブの「ダウンタウン」の「場末」の「貧困」の側面ばかりを見ることになってしまう。

しかし、今回は恵まれていた。空き時間(といっても、空き時間を作るために計画的にミッションの日程より早くセブに到着したのだけれど)に、またまったく違う面からセブの「現実」を見せていただくことになったからである。といってもそんなに重い話でもなく、早い話が、観光と、在セブ日本人の方々とのおしゃべりを楽しませていただいたにすぎない。

話は遡るが、昨年の8月、私が留学準備を終えてマニラから関空に帰るという日、フィリピン航空のフライトは、かなり遅れていた。やっと乗った飛行機で隣あわせの席になったのが、デルモンタさん(ハンドルネーム)という男性だった。そもそも私は、飛行機で隣り合わせになった人とお話しすることが多い。ましてやこの日は、空港で長時間待たされてすっかり退屈しており、自分の2倍の年齢で同じ京都市民だというデルモンタさんの話を興味深く聞くことになった。ビサヤ地方に魅せられて旅行を繰り返しておられる彼は、セブの地図を広げて私にビサヤの魅力を語り、荷物の中からセブの名産品「オタップ(パイ菓子)」を取り出して私に下さり…と、なかなか素敵なかただった。空港についてからも同じバスに乗り、結局、大阪駅から京都行き最終のJRに乗るところまでご一緒だった。
デルモンタさんは、現在もビサヤ地方を旅行中。フィリピンに「住んでいる」私よりも2週間も早く日本を発っておられるのに「旅行中」というのもおかしな話だけれど、ご本人曰く「旅行中」らしい。そして、今回私がセブに行くにあたって、セブでお待ち受けくださった。観光にお付き合いいただき、そして、彼のお知り合いである在セブの日本人の方を次々と紹介してくださった。

いやはや、セブ在住の日本人にはいろんな方がおられるのだなあ、と驚くことばかりだった。自称旅行者のデルモンタさんを初めとして…。
フィリピン人と結婚しておられる方々のコミュニティ。
脱サラでダイビングショップを経営なさっている方。
日本で定年退職後、ご家族でセブのアップタウンにお住まいの方。
退職後をセブのアップタウンで過ごしておられる方々にはすっかりお世話になってしまった。お住まいのコンドミニアムに備え付けのプールで遊ばせていただき、日本のお米や日本料理をご馳走していただき、この国ではじめて、お湯の出るシャワーを体験し、NHKの衛星放送で3ヶ月ぶりに日本語の放送を観た。セブには、日本の食材店もあるらしい。暖かいし治安は(マニラよりは)よいし、物価は安いし…うちの両親にも、定年後はセブに移住することを勧めようかと真剣に考えてしまった。
運転手を雇っておられるご家族の方は、ジープニーは危険だから乗ったことがない、とおっしゃる。日本食材店やセブのショッピングモール、日本製テレビゲームのお話をきいて、私は「なんと、こんな世界もあったとは」と感嘆してしまった。
「フィリピン人の目線で」などという謳い文句のもと「フィリピンの貧困」を見に来た日本人は、おそらく、彼らを槍玉にあげて批判するだろう。セブよりも危険なマニラで、1日平均6回は乗っている私にとっても、確かに驚きではあるけれど、でも、どちらの生活が「よい」のかなんて決められるはずもない。
フィリピン人と結婚しておられる方々。こちらに住み、現地企業で働いておられる方もいれば、日本に仕事を持ちつつ、「通い婚」状態の方もおられた。20歳も離れたフィリピン人の奥様を持つ方や、退職後、ガールフレンド&メイドさんである、娘ほど歳の離れたフィリピン人女性と一緒にお住まいの方もおられた。

以前ならば、私はそのような方々を、ある種の色眼鏡で見ていたかもしれない。旅行やフィリピンパブで若いフィリピン女性と知り合った日本人が彼女たちを「遊んで」「捨てる」などといったネガティブなストーリーを書籍などで目にすることが多かった私にとっては、フィリピン関係のホームページで、とても若いフィリピン人と結婚されるという人たちの文章や掲示板の書き込みを見て、偏見を抱いていたこともあった。
明らかに、それは私の偏見である。人にはそれぞれ事情というものがある。若いフィリピン人を「遊んで」「捨てる」ようなひどい人もいるのかもしれないが、熟考の上で国際結婚を決断し、奥さんをとても大切にしておられる方もいる。少なくともデルモンタさんが私に紹介してくださった日本人の方々は、それぞれにとても真面目な方々だった。

退職後セブに移住なさった方々のなかには、JICAが作成を支援したフィリピン共和国の1万分の1の地図を実際に作成する企業にお勤めだった方もおられた。私がいつもキアポの裏のナムリア(国土地理院)支店まで買いに行ってフィールドワークで使用しており、そして、毎日のように持ち歩いているCITIATLASというメトロマニラの地図帳のもとになっている貴重な地図である。作成時のお話をきかせていただいた。
現役時代は○井物産でお勤めだった方や、建設関係のコンサルタントとしてODAのコンサルティングに携わった経験をお持ちの方もおられた。上に挙げた、セブで進行している2つのODAプロジェクトについてももちろん詳しくご存知だったし、関係者にお知り合いもおられるとのことだった。いずれも、NGOの「敵」として真っ先に槍玉にあげられる立場であられた方々。いみじくもODA批判を目的としたミッションへの参加のために訪れたセブの地で、そのような方々からお話をうかがうことができるとは…。

このホームぺージのそこここでも書いているように、私は、「現地でさまざまな問題を引き起こすODA」よりも、「一部の事例だけを見てしかも自分の目で見たわけでもなく一部の個人や団体の主観的なレポートを真に受けて)ODAのすべてを悪と決め付ける人々」のほうが問題だと思っている。中には、高度な専門性を持ち、頻繁に現地を訪れ、現地の人々自身の口から詳細な話をきいて、客観的なデータをもとにしたうえでそのように主張している方もおられる。しかし、コトバンジャンダムに行ったこともない人々がODAをひと括りにして、「人殺しODA」、「ノーモアODA」、「ストップODA」などのキャッチフレーズで盛り上がるのはいかがなものかと思う。「反対のための反対」「運動のための運動」であるなら良いかもしれないが、少なくとも、「現状を変えたいとする運動」であるのなら、あまり効果はないのではないだろうか?との疑問を、1997年にフィリピンに来たときから、私はずっと抱いてきた。

このセブのODAについてはいずれ、別のページで詳しく書くつもりだけれど、「ノーモアODA」を掲げる人々による今回のミッションは、そのような価値観をもつ私にとっては、しばしば、かなしいものであった。そのような中で、「ODA推進側」にあたる方々と、このような奇遇を得られ、お話をうかがうことができたのは、本当に嬉しいことであった。

それはそれは貧しく見えるスラムエリアを訪れる一方でこのようなアップタウンでの語らいを楽しむなんて、フトドキだという人がいるかもしれない。私だって以前は、スラムに隣接する高級ホテル(なのか、高級ホテルに隣接するスラムなのか、前後関係は不明)の存在が疑問で仕方がなかったし、貧困地区を見た後で、ストリートチルドレンを追い払いながら高級レストランで食事をする人がいることが信じられなかった。そして、スタディツアーなどで計画的に見せ付けられるような「貧困」の一面だけを見て、「フィリピンの現実を見てきた」と、自己満足していたはずである。

一般的に言って、NGOや活動家が限られた日程の中で訪問者を受け入れる場合、どうしても、その団体の理念や思想に合った「現実」を見せることが多いのは当然のことである。
日本のNGOなどが主催するスタディツアーの売り文句も、「旅行では見えない本当のフィリピンを」「人々の目線から見たフィリピンの現実を」である。
そこで私はいつも、「でも、スタディツアーだからこそ見えない現実があるでしょう」と考える。旅行者には見えない現実もあるでしょうけれど、スタディツアー参加者には決して見えない現実もあまたあるのですよ…と。たとえば、セブのアップタウンを知ることなく終わってしまうのは、彼らにとっては問題ではないのだろうか。

もちろん、時間的な制約があるので、すべてを見ろなどとは言わない。そんなことは私にも不可能だ。ただ、問題だと思うのは、一部の貧困だけを取り出してクローズアップし、「私はこの国の現実を見た。他の日本人もこの現実を知るべきだ」などと主張することである。
「貧困」の側面ばかり見ていても、セブの「現実」を見ているのだなどと胸を張っては決して言えないだろう。ODA反対を唱えてスタディツアーを斡旋する現地のグループ、そして日本のグループは「住民の目から見た現実を知って欲しい」と主張するかもしれない。けれど、「住民」といってもさまざまである。私がお会いでいたような、アップタウンに住む日本人の方々もまた「住民」だし、「貧困層」の生活などいっさい知らない中間層のフィリピン人だって多く存在するのだから…。

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デルモンタさんと、今回お会いいただいた方々に感謝を申し上げます。
繰り返しますが、ここはあくまでも「ひよる(日和る)」ページでありますので、主催者のSPANの方々への感謝と還元は、後日追加予定のページか、または別の形でさせていただくことにいたします。


        
 

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