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日本のNGO ♯1 
中立な情報発信の難しさ
ODAをめぐる政府機関とNGOの対話の状況や「ODA改革の動き」は、あまり一般に知られていない。外務省のウェブサイトには、ODAホームページやODAメールマガジンといった情報媒体があるが、それ以外には、情報を適宜「発信」したり状況を「解説」したりするサービスはこれといって見当たらない。個々のNGOのニューズレターやメールマガジンでは、自団体の関与する国や分野に特化した情報が多くなる。また、問題の指摘されるODAプロジェクトを追跡するような団体は、確かに細かくODA改革の動きを追ってはいるが、もともと「ODAを告発し、市民の賛同を得ること」が目的であるとすると、どうしても広報の内容は、主観的で一方的なものになりがちである。「政策一般の動きを中立にわかりやすく描写する広報媒体は見当たらない。
実際に、私が日本で「ODA改革運動」なるものにかかわりをもっていたとき、「もっとわかりやすい、一般向けの情報発信機能を担うメールマガジンやメールニュースを作成しよう」という話があった。私もそれには強く賛同し、ぜひとも作成にかかわりたいと思った。しかし、それはいまだ実現していない。その理由は、以下のようなものである。

1)ニーズが不明確
NGOと外務省がどのような形態で、どのような対話をしているのか知りたい人がどれだけいるのかわからないし、無駄になってしまうのではないかと思う。

2)手間がかかる
独特の専門用語や、時事用語(たとえば、「ODA総合戦略会議」などという語)についてメールマガジン上で逐一、丁寧な解説をつけている余裕がない。

3)効果が不明
不特定多数の人々にものを伝えることに、初めから「諦め」がある。問題の複雑さとあまりにもめまぐるしく動く情勢に、「どうせ公開したってわかってもらえないのではないか」という気持ちが働いてしまう。

4)見返りがない
先述のように、何らかのプロジェクトを持っている団体、あるいはある特定のODA政策を追っている団体にとっては、情報発信は賛同者獲得のためにプラスになるかもしれないが、「中立な」情報を「不特定多数の(動員の対象ではない)」人々に対して流すことには誰にも何のメリットもない。よほどの必要性があるか、どこから求められるか、自分の個人的な勉強のためでない限り、わざわざ時間を割こうとは思えなくなる。

その結果、「知りたければ自分からアプローチしてくるだろう」というような半ば投げやりな思いで、私はこの計画を半年以上放置している。プロジェクト(事業)型であれアドボカシー(政策提言)型であれ、社会運動組織にとって市民は動員の対象であって、対等ではないのだろうかと思う。(…という説明で、自分の怠慢の言い訳にしておこう。)


        
 

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