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社会運動 ♯3 
反戦運動 3 不買運動
2003.4.5
アメリカ製品の不買運動があちこちで始まっている。私自身は不買運動に参加していないし、こうした運動に対してはかなり否定的である。
不買運動など無駄だとか自己満足の感情論だとか、批判をするのはたやすい。けれどもここでは、不買運動の是非について、もう少し論理的に整理してみたいと思う。不買運動には、次の4つの疑念がある。

第一に、不買運動にどんな論理的な理念があるのか、単なる感情論ではないかという批判がある。戦争を始めたのは一部のアメリカ人であって、なにもアメリカという国やアメリカ国民に敵意を燃やすことはないじゃないか、という声があるだろう。アメリカの国旗を燃やしたり、アメリカ製品を燃やしたりすれば、それはもはや「反戦運動」ではなく「反米運動」となってしまう。
しかし、さすがにアメリカの国旗を燃やそう」と呼びかけている団体を私はまだ見たことがない。 また、アメリカ製品なら何でも、と主張している人がいる一方で、それよりはいくばくか戦略的な方法論を打ち出している団体もある。「戦争で利益を受ける企業を集中的に叩く」のだそうだ。具体的にはブッシュ大領領への献金企業であるメリルリンチ、シティ・グループ、エンロンなど。ジョン・アシュクロフト司法省長官はマイクロソフト社などから、パウエル国務省長官はAOL社から献金を受けている。ブッシュ政権を支えるこうしたアメリカの大企業にダメージを与えようというのが趣旨らしい。「日本の市民が平和のためにボイコットが行っていることを知れば、アメリカの大企業や政権は、戦争政策が実害を伴うことを知るでしょう。」というのが彼らの主張である。

第二に、仮に論理的理念があったとしても、本当にできるのかという実現可能性の問題がある。日本でも私の住むフィリピンでも、アメリカ製品はそこここに氾濫している。ハリウッド映画、コカコーラ、ディズニーランド、スターバックス、マクドナルド…などの娯楽はよいとして、現在アメリカ車に乗っている人たちはどうすればよいのか? もし父親がP&Gで働いていたらどうすればよいのか? パソコンはもっとも大きな問題である。いま手持ちのパソコンがIBMやDELLのものだったら、新しいものに買い換えろというのか? マイクロソフトは不買運動のリストに入っているが、WindowsをやめてLinuxに投資するなどということができるはずがない。(もしかして、一度買ってしまったものはいいのだろうか。けれどマイクロソフト製品を使い続けることは、マイクロソフト社を支持することになるのだから、やはり究極の不買運動はWindowsのボイコットを示唆しているに違いない。)かくいう私も、シティバンクに口座を持っており、(海外で出金ができるし、日本の銀行に預けるよりも金利がいい)、パソコンのOSはWindowsXP。このページに利用している「ホームページビルダー」はIBM社の製品である。マイクロソフト製品を通して不買運動を知った人がマイクロソフト社製品のボイコットに走るほど皮肉な話はない。

第三に、仮にアメリカ製品の排除が可能であったとしても、その実効性には疑問が残る。巨大なアメリカ企業に本当に影響を与えることができるのか。戦争を止めるほどの変革につながるのか。
ボイコットには、これまでにもいくつかの前例がある。アメリカの米国公民権運動の発端となったアラバマ州では、アフリカン・アメリカンによるバス・ボイコット運動が起こったことは中学校の英語の教科書にも載っている。南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策の廃止には、同国からの外資系企業の撤退を促すボイコット運動が一役買ったとも言われている。1995年のフランスの核実験再開に抗議するフランス製品ボイコット運動は記憶に新しい。南太平洋、日本、英国等世界の各地から起こったフランス・ワインの不買運動は、シラク大統領の核実験中止への大きな原動力となったといわれている。
だが、どれもこれも、不買運動がある一定の効果をもたらしたと「言われている」だけなのである。国の指導者たちは、不買運動を恐れて政策を変えたとは発言していない。単に、主体となった団体や個人が「市民の力だ」と解釈しているだけではないかという批判的な見方はできるだろう。もし、現在の戦争が突然終わったとしたら、きっと、「世界の市民の反戦の声がアメリカを変えた」という人が必ず現れるだろう。それが事実であるかどうかには関係なく。社会運動への動員に必要なのは、事実ではなくストーリーと思い込みなのだ。

第四に、仮に不買運動に一定の効果があったとしても、社会・経済に与える負の影響への懸念がある。まず不利益を被るのは弱い立場の労働者ではないかという声は当然きかれるであろう。「失業者が出るのではないか」「経済の循環が悪くなるのではないか」という懸念もあるだろう。実際に、ヨルダンでは6軒のマクドナルド店のうち2軒が業績不振のために閉店されている。このような事態が進行すれば、少なくともパートタイマーの失業は避けられまい。これについて当該団体は以下のように説明しているらしい。先のフランス核実験に抗議するために日本で実施されたフランス製品不買運動では、ヨーグルトやチーズのブランド「ダノン」を販売していたカルピス・味の素・ダノンは、社員たちによる核実験反対の訴えに応えて、社長自ら核実験反対署名を呼びかけ、社内で署名を集め、それによって「ダノン」は不買運動のリストから外された。不買運動はこのように、自社イメージの復活のために立ち上がる労働者のパワーをサポートだというのである。
かなりこじつけに近い説明ではある。「私たちはあなたの会社の製品を買わない。でも、あなたたちをサポートしているのだ。反戦のために連帯しましょう。」…部外者による、とんでもないお仕着せの理屈ではないだろうか。彼らは、槍玉にあがっているアメリカ企業の労働者たちも反戦を願っているはずだという前提にたっているが、労働者の意志を確認したわけでもあるまい。また、果たして、労働者にそのような力があると考えられるだろうか。労働者はそんなにも簡単に団結するものだろうか。正規雇用されている従業員はともかくとしても、パートタイマーの失業は必至であろう。

「たとえ近くにマクドナルド店があっても、その店にもイラク戦争に反対している店長や従業員がいるはずです。マクドナルド店の店長や従業員であってもこの運動の賛同者になってもらうことも可能です。積極的に会話をしてみましょう。その店にイラク戦争反対の意思表示をしてもらい(例えば店の前にイラク戦争反対の看板等を出してもらう)、ボイコットの例外店として推薦するという選択肢もあります」と、彼らは主張する(Peace Choiceからのメールより)。
たとえば郊外の小さなショッピングセンターに、ロッテリアと並んで経営のあまり芳しくないマクドナルドがあったとする。その町ではマクドナルドのボイコット運動が広まり、稼ぎ時だった日曜日の昼間にもマクドナルドにはあまり客が入らなくなってしまった。営業部は、今月の目標額を超えなければ来月にもこの支店を閉めることを決めた。従業員は店長1人が社員で、ほかの6人はパートタイマーのフリーターである。閉店されれば6人は仕事を失う。そんなとき、活動家の主婦が店頭に来てこのように言う。「私たちはマクドナルドでは食べません。でも、あなたたちが店の前に『戦争反対』の看板を出してくれれば、そして、アメリカの本社に反戦の意志を伝えてくれるなら、この店は対象からはずしましょう。私たちはあなた従業員の団結を支援しているのですよ。平和のためにわれわれと連帯しましょう。」…彼らに伝わるだろうか。ほうっておけば店は潰れるが、日本支社に伺いを立てて(恐らく許可は出ないだろうが・・・)看板を作成し、アメリカの本社を相手に反戦の意志を示すなどという行為のほうがはるかに労力がいるし、結局は上司の反感を買って全員解雇ということにもなりかねない。

不買運動を呼びかけている人々は、決して反米感情からアメリカ製品のボイコットに走ってしまったわけでも、アメリカ経済や弱者の従業員に影響が及ぶことを意図しているわけではあるまい。むしろ、まったくの善意で活動をしているのだろうし、「不買運動は労働者をサポートし、市民連帯を生み出す」と本気で考えているのかもしれない。理想社会を語ることは、社会運動の重要な方法論であろう。しかし、お仕着せの善意は反感を買うばかりか、意図している成果をあげることすら不可能にしてしまうのではないだろうか。

<参考ホームページ>
War Boycott Network
Peace Choice
戦争反対ええじゃないか桃太郎運動実行委員会


        
 

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