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コミュニティ・オーガナイジングとアクティビスタ ♯2
リーダー・トレーニング・セミナー その1
2003.9.20(土)
5月と6月にフィールドワークをさせていただいていたマニラ市P地区の住民組織Dのリーダーのための「リーダー・トレーニング・セミナー」が、COMというNGOによって開催された。セミナーは金・土・日を使っての二泊三日で、マニラから南に1時間半ほどのところにある、ラグナ州ロスバニョスで行われた。私は土曜日の早朝から参加させていただいた。

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パシグ川の沿岸部に位置する14のバランガイから成るこの地域は、政府の「パシグ川再生計画」により、1500世帯が移転を迫られるという問題を抱えている。この「パシグ川再生計画」には、「10メートル地役権(10-Meters Easement)」、すなわち、川の両岸10メートル幅の土地は「環境保護地帯」として公園や歩道を設置すること、さらに、10メートルを越える周辺の土地を「都市再開発地域」として住宅やデイケアセンターなどの建設地にすることが計画されている。巨大な不法居住地と化しているパシグ川の沿岸部をツーリスト・パークとして再生化し、外国人観光客を惹きつけることが目的だという。
住民組織Dは、ここに書いたことのあるCOM(Community Organizers Multiversity)というNGOから派遣されたコミュニティ・オーガナイザーのサポートのもと、1997年に組織されて現在に至る。組織を理解するさいにはしばしば「メンバー」「リーダー」という言葉の示す範囲の曖昧さが問題となるが、この住民組織Dの場合は、「メンバー」とは移転対象となる全1500世帯、「リーダー」とは、組織のために積極的に活動する「アクティブなメンバー」「イベントや会議の常連メンバー」を指す。リーダー名簿はあれども、名簿に載っていないリーダーもいれば、載っていてもほとんど活動に参加しない(昔は活動的だったが徐々に離れていった)人もおり、また、リーダーになるための手続きもないので、いったい誰がリーダーなのかはきわめて曖昧である。住民組織としてのミーティングは「リーダー」の参加のもとに行われるが、ときおり、「リーダー」が新しい人(メンバー)をつれてくることもあるし、「メンバー」でしかなかった人が、「話を聞きたい」といって自主的に突然ミーティングにやってくることもある。会長(プレジデント)や会計などの役職は「リーダー」の中で選挙によって決められる。現在は、11のバランガイに、40代から60代を中心とした約30名のリーダーがいる。

パシグ川はメトロマニラを横断するので、COMはこの「パシグ川再生計画」で影響を受けるほかのいくつものコミュニティに組織化のサポートを行っているが、私の主観では、P地区のこの住民組織Dのリーダーたちは、比較的活動に積極的であり、ミーティングでの声が大きい。それは、組織としての歴史の長さ、リーダーたちのコミュニティへの愛着(P地区はもともと工場街であり、戦後から古いコミュニティがあった。80年代後半に地方からマニラに出て来た貧しい人々が多く住みついて「都市貧困地区」と呼ばれるようになったが、その前からコミュニティに住んでいた人も多い)、また、比較的ミドルクラスの人々が多いことなど、さまざまな原因によるものだが、ここでは省略する。

政府の「パシグ川再生委員会」は当初、マニラ首都圏から離れた郊外の地区への再居住を薦めていたが、生計の喪失や通勤の不便さから、住民はこれに反対していた。住民組織Dでは、「私たちはP地区から出て行かない」という合意の下、「P地区内の空き地において、住民に手の届く範囲の住宅供給がおこなわれるのであれば、私たちは移転に同意する」という「Peoples’ Plan」を、オーガナイザーの力を借りて1999年に作成した。Peoples’ Planとは、住民の側から政府への「代替案を示す」というもので、こうした都市貧困地区の居住運動の重要な支柱になるものである。

さて、そのPeoples’ Planの内容は、近隣への移転(Near-site Relocation)を代替案として示している。P地区内で、河岸からずっと離れたところに、ある財閥の私有財産である巨大な空き地「Mコンパウンド」がある。この土地をマニラ市の支援を得て買い取り、再居住地として適切な住宅を建設して、1500世帯の移転先にしようというものである。
マニラ市はこれに同意を見せているが、マニラ市が同意した最大限(法律の範囲で)の補償金は、Mコンパウンドの買収と住宅建築を行うにはまだ不足している。6年かけてここまでたどりついた政府との交渉は、すでに限界を迎えていた。あとは、メンバー間の積み立てや貯蓄計画で、政府の補償で足りない部分をまかなっていくしかない。

ここにおいて住民組織Dは、なんとかしてメンバーを説得する必要があった。不足分は、住民自身が貯蓄、積み立てなどの手段を用いて補う、というこのプランに、「メンバー」を同意させなくてはならない。もし、住民の側がこの額に同意すれば、移転は開始されることになっているが、貧しい人々(メンバー)がどれだけこれに同意するのかは定かではない。

これが、彼らの目下の問題なのであった。あるリーダーは私にこうおっしゃった。
「政府とのコンサルテーションや街頭デモよりも、私たちの活動をシニカルに見ている隣近所の人に月10ペソ(約20円)の『会費(組織の活動費に充てるもの)』をお願いすることのほうが、よほど難しい。」

この問題をリーダーたち自身がどの程度「問題」と感じているのかどうかは定かではないが、少なくともCOMのオーガナイザーは、これをとても深刻な問題と捉えている。(なお、この点については、9月21日分の最後で詳述)

もうひとつの課題は、リーダーの中でのリーダーシップの構築である。住民組織Dの会長(プレジデント)V氏の不在。V氏の娘さんは日本人と結婚して日本で暮らしておられるので、V氏は彼女に会いに7月から日本に滞在している。この組織は、V氏のリーダーシップがあまりに強力だったため、新しいリーダーが育たない、というのがV氏自身もほかのリーダーも以前から口にしていた問題だった。現在、V氏がP地区を留守にしていることによって、V氏の担ってきた立場、仕事をほかのリーダーが分担することになっており、リーダーたちがその過程から気づいたことは多いという。

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さて、セミナーへの住民組織Dからの参加者は17名。加えて、COMのベテラン・オーガナイザーのJ(37歳女性)と、P地区担当のオーガナイザーV(26歳女性、修行中)、別地区担当のオーガナイザーB(23歳女性、修行中)、そして、VとBの監視と指導をおこなうベテラン・オーガナイザーのB(30才男性)が同行し、別のNGOから招かれた、リーダー・トレーニング・セミナーのプロフェショナルであるA氏(50代男性)がセミナーをファシリテート(主導)した。A氏は半生を郊外都市での労働運動に捧げてきたかなり年季の入った活動家。自分自身も貧困家庭の出身であり、住民組織Dのリーダーたちとほぼ同年代である。

土曜日のセミナーは、「そもそもなぜ、組織なのか」というA氏のお話から始まった。
「60年代の『国連開発の10年』が私たちの生活の改善に何も目立った結果を残さなかったのは、トップダウン式の『上からの開発』だったからである」
「Civil Societyとは何か。なぜフィリピンのCivil Societyがほかのアジア諸国よりも強いと言われるのか。エドサ革命で国民が街頭に出て行ったあの行動がCivil Societyなのか。いや、それは違う。あの行動が、真に人々の総意であったのか、あるいは、コミュニティや組織の中できちんと話し合って決めてあの行動に出たのか、それが大切なのである。Civil Societyとは、下からの意思決定、エンパワメントを通した『組織化』のプロセスがどれだけ充実しているかということである」
などなど。

次に、たくさんの写真つき絵葉書が配られ、「自分の長所(Kalakihan、「強いところ」)と短所(Kahinaan、「弱いところ」)を同時にあらわしていると思う写真をひとつ選んでください」とA氏。選び終わると、7人ずつのグループに分かれて、なぜそれを選んだのかを発表しあう。たとえば、6人の子どもが縄跳びで遊ぶ写真を選んだある女性リーダーは以下のように述べた。
「私の長所は、夫が出て行ってから、働きながら7人の子どもを育ててきたことです。それから、子どもがすこし大きくなったで、1年前からこの住民組織Dの活動も始めました。でも、一番下の子はまだ小さく、ときどき、Dの活動と家庭とどちらを優先させるか迷うことがあります。ある日、子どもが病気でしたが、Dの活動がとても大事だと思って、子どもを家において路上デモに行きました。子どもに申し訳ないと思いました。それが私の弱点(Kahinaan)です。この写真には子どもが6人しかいません。7人目は、私があの日置いてきぼりにしてしまった一人です。」

さて、そのあとは、「感謝」についてのワークショップ。リーダーの大方は既婚であるため(離婚者も多いが)、A氏は頻繁に夫婦の例を挙げて説明する。
「結婚と組織は同じです。長く一緒にいる(samahan)と、相手の欠点ばかりが目に付くようになり、感謝の気持ちを忘れます。いま、ここで、眼を瞑り、この組織Dの中であなたが感謝したい人を思い浮かべてみましょう。(1分くらい経過)考えましたか。考えるだけでも行動は変わってくるでしょうが、ときには言葉で伝えるべきときもあります。今日は、一人ずつ、それを言葉にしてみましょう」
各リーダーは、いまは不在の会長V氏への感謝、自分をこの組織に誘ってくれた人への感謝、ミーティングの電話連絡をしてくれる地域担当者への感謝、電話がない人のところには歩いて連絡に来てくれる○○さんへの感謝、などを言葉にした。
最後に、A氏は次のように言った。
「家庭や結婚生活と同様に、組織というのは忙しいものです。問題が多いのも自然なことです。ただ、その中で感謝を忘れてはいけないと思います。問題があるときこそ、欠点以外のものを探しましょう」

次には、フィリピンのCommunity Organizingの起源のひとつである、シカゴのオーガナイザーのソウル・アリンスキーと、ブラジルの識字教育者パウロ・フレイレの思想に関するレクチャー。中でも、フレイレの「沈黙の文化(kultura ng kahimikan)」と「自由/決定への恐怖(takot sa kalayaan/pasiya)」という二つのものが、組織ができる前にもあとにも、人々を縛っているのだということが強調された。
「私たちフィリピン人は、積極的で表現豊かですし、プレゼンテーション能力もあります。しかし同時に、恥を恐れ、人前で発言することをためらう文化も持っています。組織が大きくなっても、ミーティングの中で話せない人というのはいます。そして、ミーティングが終わってから、あとで少人数でこそこそ話す傾向があります。これも沈黙の文化です。組織化してもこの文化は私たちを支配するのです」
「また、私たちは責任を取るのを恐れます。問題があったときに『私が決めたんじゃないから』という逃げ道を残したいと思います。フィリピン人は自由自由と叫んできましたが、自由よりも、誰かのせいにして、ついていくほうが楽なのです。ミーティングで、コミットメント(目標)とタイムフレーム(いつまでにそれを達成するかの期限)を決めますね。そのとき、たいてい、コミットメントを話しているときはみな活発ですが、タイムフレーム設定となると急に黙ってしまうのではないですか?」
A氏曰く、これらは人間の、あるいは民族的な本性なので、急に改めることはできないが、そのような性質が自分たちの中にあることを知って、リーダーとして自分たちが組織を運営するさいに、それを念頭に置くことが必要だという。

次は、『Feedbackの実習』。A氏によるとFeedbackとは、相手の性格や行動の欠点を、勇気をもって言葉で指摘することだという。
「先ほど私は、感謝を口にすることは大切だと言いましたが、同時に、他人の欠点(kahinaan)が目に付くなら、それを勇気をもって相手に伝えることが必要です。これは、感謝より難しい。でも、ここでいくつか練習をしてみましょう。」
まずは、プレジデントV氏の不在中、ミーティングの連絡や政府との交渉などの役目を引き受けているI夫人がFeedbackを受けることになった。
「では、I夫人に言いたいことがある人?」
というA氏の問いかけに、はじめは皆、躊躇して誰も発言しなかったが、
「欠点(kahinaan)とは、『欠けている』ことだけではなく『過剰な』ことも含みます」
というA氏のファシリテーションに、リーダーたちは口を開いた。
「彼女はとても勤勉ですが、勤勉すぎると思うことがあります。もっと仕事を分担すべきだと思います」
「彼女は他人に仕事をふるのが上手ではありません」
A氏はここで、
「『彼女は』という三人称で話すのではなく、当事者に向かって『あなたは』と言って下さい。Feedbackとは、その人に直接向かっておこなうべきなのです。」
と忠告した。そして、I夫人にこう尋ねた。
「Iさん、それについてどう思いますか?」
I夫人はこう答えた。
「私はこの組織の中でとても恵まれた立場にあるのです。娘は大きくなりましたし、夫がサウジアラビアに出稼ぎ中なので、活動のために夜遅くなっても、日曜日に出かけても誰も何も言いません。私は河岸3メートルに住んでいます。スクワッターといわれます。でも、どうしても、自分たちの土地を獲得したいのでこの組織に関わっています。皆もそうでしょう。でも、ほかの人は家庭や仕事があるので活動のために十分な時間が割けないかもしれません。先月頃までは、ミーティングの連絡などの雑用はいままではオーガナイザーVがGrowndworkとしてやってくれていましたが、組織としては、やはり自分たちでそれらをする必要があると思って、私はそれを引き受けました。サウジアラビアにいる夫にこの組織のことは知らせていますが、彼は、まさか私がこんなにも活動に時間を割いているとは思っていないでしょう。夫が帰ってきたら話し合う必要があり、その結果によってはこの立場を維持していけるかどうかわかりません。でも、今はこれが自分の仕事だと思っています」
次にFeedbackを受けたのはD氏。彼は三度も結婚し、そのたびに妻に離縁されている。いずれも、自分がサウジアラビアに出稼ぎに行っている間に妻が別の男性と恋に落ちてしまったのだという。そんなD氏は、そうした自分の経験を、出稼ぎの夫をもつT夫人や近所の女性に話してきかせ、未婚の20代女性であるVや私にもさまざまなアドバイスをしてくださる素敵な「おじちゃん」である。さっそく、さきほどFeedbackを受けたばかりのI夫人が
「D、あなたにとても言いたいことがあります。Mコンパウンドのことです。これから私たちは、メンバーに私たちのPeoples' Planに賛同してもらえるように説得しなくてはいけない。あなたはずっと、マニラ市の示したあの補償額では納得できないと言ってきたけど、あれが交渉の限界なのは明らかでしょう。あなたはリーダーなんだから、まず自分自身があれに納得して、残りは自分が払うとコミットしてください。でないと、私たちの計画はいつまでも始まらない」
と発言した。これに対してD氏は
「それは分かっている。でも、もう少し考える時間が必要なんだ。私ですら納得できない条件を近所の人に納得させることができるわけがないだろう。」
と答えた。この問題は前から話し合われていることだからか、A氏も深く追求しなかった。
次は、最近、この住民組織Dにリーダーとして加わったB氏へのFeedbackだった。彼は左派系の政治的組織「SANL○KAS」の連合下の労働者組織の活動家で、7月まではそちらの活動に集中していた。P地区にはSANL○KASの支持者が多く、私も、5月のフィールドワーク時には、活動家と支持者の何人かにお話をうかがった。SANL○KASの支持者には河岸10メートルの立ち退きで影響を受ける人も多く含まれているので、SANL○KASのP地区担当のオーガナイザーも住民組織Dの活動には協力を表明しており、ときどきは共同でデモンストレーションをしたり、DのミーティングにSANLA○KASの活動家が参加したり、リーダーが重複していたりする。ただ、住民組織Dには、SANLA○KASが下院にも議席を確保する政治的組織であることにこだわるリーダーもいる。
「B、あなたはSANL○KASの活動とこれを並行して行うつもりなの?」
と、一人が発言した。A氏はすかさず、
「いまは質問をする時間ではありません。Feedbackをする時間です。質問形式はだめです。」
と言った。別の人が代わって
「私たちは、あなたが政治的組織の出身だから、これから一緒にリーダーとしてやってくれるのかどうかまだ不安で、心配している。また、あなたは教会活動にも熱心だ。どの程度、私たち活動に関心があるのか見えないので心配だ。」
と、なんとか質問形式を脱するようなコメントをした。B氏はこう答えた。
「いや、SANL○KASはやめた。今後はDに力を注ぎたい。SANL○KASをやめた理由は、私はP地区に愛着を感じているから。P地区では労働問題よりも貧困問題のほうが深刻だと思ったからだ。私もまた、河岸10メートルに住んでいる。皆と一緒にやっていきたい。でも、教会活動はとても大切なので、これからも平行して続けたいと思う。」

このように、あと数人のリーダーのFeedbackが行われ、そのあと、いかにコミュニケーションが大切か、いかに「言い方」が大切かというA氏のコメントがあって、一日目は終了。そのあとは「socialization(日本語では、親睦会または懇親会?)」と称する「夜の部」。すぐ近くにあるスイミング・プール(ロスバニョスは温泉リゾート地である)で泳ぎ、男性はトゥバ(ココナツの蒸留酒)を飲み、魚のバーベキューやピーナツ、私が家で茹でてきた蕎麦などを食べ、プールサイドに設置されたカラオケを楽しみ、夜は更けていった。が、もっとも、水汲みのために毎朝4時に起きているる(P地区では23時〜6時までしか水が出ない)リーダーたちは早寝早起きの習慣が付いているので、あまり夜更けにもならないうちにお休みになった。
その後、修行中オーガナイザーのV(26歳)とB(23歳)と私は、ベテラン・オーガナイザーのB(30代男性、愛情を込めてボスと呼ばれている)から「社会運動とコミュニティ・オーガナイジング」というテーマで特別レクチャーを受けた。


        
 

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