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フィリピンの文化 ♯11
フィリピノ・タイムとは
2003.9.2(火)
フィリピノ・タイムという言葉がある。
フィリピン人は約束の時間に遅れる。
…いや、「フィリピン人は…」とひとくくりにはしたくないけれど、フィリピンの人たち自身が「フィリピノ・タイムで10時」などと口にしているのを見ると、やはりフィリピノ・タイムなるものは存在すると思わざるを得ない。

集団で待ち合わせをするとする。たとえば住民組織のミーティング。約束の時間ぴったりに到着しても、誰もいない。15分、30分が経ってやっと一人二人が来たかと思えば、「あら、早かったかしら。」いやいや、遅いでしょう。ようやくぽつぽつと人が集まりはじめると、自分たちも遅れてきたくせに「○○は遅いわねえ」などと言い合う。けれども、誰も怒らない。結局、ミーティングが始まるのは早くとも約束の時間の1時間半後である。
授業のグループワーク(ロールプレイの練習)で集合するときも同様。キャストが揃わない、音響係が来ない、といっていつまで経っても練習が開始できず、やっと「じゃあ、やろうか」というときには軽く2時間が過ぎている。下手をすれば、「やっぱりみんな来ないみたいだし、また明日にしよう」ということになってしまうこともあった。私の感覚では、まったくひどい話である。けれどもクラスメイトたちは、特に怒りも見せずに「またねー」と言って帰っていく。以前にも書いたが、クラスメイトの多くは、仕事や家庭を持っているmature studentsである。マニラ首都圏以外から2時間もかけて来ている人もいのに、2時間も待たされた挙句に「明日にしよう」だなんて…とんでもない。

個人的な待ち合わせにおいても、時間のルーズなこと。15分程度の遅れは「遅れ」ではないのだろうか。「待った?」というタガログ語は、”Kanina pa?”…”kanina”は「さっき」、paは「まだ」。直訳すれば、「さっき来たばかり?」となるのだろうか。でも、kaninaの示す範囲が広すぎるようにも思う。10時の待ち合わせに1時間半遅れてきた人が、1時間遅れてきた人に対して”Kanina pa?” “Oo, kanina.”という会話をしているのを耳にすると、全身の力が抜けてしまいそう。

もっとも、フィリピンに限ったことではなく、一般的に、「途上国の人たちは時間にルーズ(おおらか)である」とは言われているし、それはある程度事実でもあるだろう。
たとえば、エチオピアで開催された国際会議に行ったとき、前日になっても会議の資料がいっこうに出来上がらないのを見たバングラデシュから来たメンバーが「アフリカ人は時間にルーズだ」と言っているのをきいて、私は絶句してしまった。 

先日、私はお世話になっているNGOでアドバイスをしてくれているJと、事務所で2時に待ち合わせをしていた。Jが時間通りに姿を現すことは皆無に近いため、待たされることを予測した私は読み物を用意し、3時半頃までは、「いつものことだから」と思って読書に熱中した。「Nasaan na po kayo?(いまどこですか?)」というテキスト・メッセージを送ると、「Paratin na ako.(向かっている)」という返事。
4時をすぎたころ、なぜか、私の待っている机の横にJの同僚の数人が入れ替わり立ち代わり来て、読書中の私に話しかけたり、些細なジョークを言ったりする。私が「Jから事務所に連絡はないの?」と聞くと、その中のBが「さっき僕の携帯にテキスト・メッセージが来たよ」とのこと。「いまどこって?」と聞くと、「知らない」とのこと。だったら何のためのメッセージだったんだか…と思ったが、Bたちはいっそう私の周りを囲んで、ジョーク交じりのくだらない会話を加速させる。そんなに暇な職場ではないはずなのに…。
結局、Jが着いたのは5時過ぎだった。案の定、Jは着くなり「Sorry、今日は遅いから、また明日にしよう」と…。

ところが、その日の晩によくよく考えて、私は、あるひとつの考えに至った。そして、その後ふたたびJに会ったとき、機会をうかがってこう聞いてみた。「ねえ、もしかして、このあいだ3時間遅れたとき、Bに ”Please entertain Saging.(sagingを楽しませてやって)” っていうテキストを送った?」
…Jはしばらく黙ったあと、「どうして知ってるの?Bがそういったの?」と言った。

この意味がご理解いただけるだろうか。
…もう少し説明が必要かもしれない。

フィリピンにおいて、“entertain(人を楽しませる)”というのは重要な要素である、と私は思う。ここに来て間もないときに、私の現在の所属である「第三世界研究センター」の先輩のリサーチフェローの方に「ここでもやっぱり、研究の成果よりentertainだから。フレンドリーに振舞い、スタッフを楽しませるように。」というアドバイスを受けた。
「ちょっと待って、ここは研究センターでしょう。なのに『研究の成果よりentertainが評価される』って、そんな馬鹿な!」と思ったものだが、いまはつくづく、そのアドバイスの意味を実感している。いくら机に向かって集中していても、無愛想はだめ。挨拶やジョークやお昼の時間の会話を(できればタガログ語で)楽しみ、周りの人やスタッフを楽しませる努力が必要なのだと思う。さもないと「いつも机に向かっている」だとか「面白くない人」だとか言われてしまう。気にしない人はそれでもやっていけるのだろうが、少なくとも私は何が起こるかわからない外国において、できるだけ「受け」を良くして円滑な人間関係を築いておきたいので、entertain重視である。いつか4月ごろにも書いたが、他愛のない会話を大切にして、できればジョークも混ぜるように努めている(いや、最近ではそれが「努めて」ではなく「素(す)」になりつつある。これが継続すると、日本社会に帰れなくなりそう…)。

さて、Jの遅刻の話に戻ろうと思う。
つまりJは、私との待ち合わせの時間にとうてい間に合わないと判断し、同僚のBたちにテキスト・メッセージで「私が着くまでの間、sagingをentertainしておいて」と頼んでいたのだ。おそらく、私が時間に忠実な日本人で、日頃フィリピノ・タイムにちょっと苛々しがちなのを知っての彼女の「配慮」だったのだろう。

待ち合わせに3時間も遅れておきながら「配慮」も何もあったものじゃないだろう、と言われるかもしれない。私も、これまではずっとそう思っていた。フィリピンの人たちは、待つ人たちの心境や苛立ちを思いやれない、文字通り「ルーズ」で「配慮に欠けた」「鈍感な」人たちなのだと、待たせられるたびにそう思っていた。フィリピン生活でいちばん煩わされるのは、「治安の悪さ」でも「不衛生」でもなくこの「フィリピノ・タイム」だと。
けれども今回の一件で私は、必ずしもフィリピンの人たちが「配慮に欠け」て「鈍感」なわけではないのだという結論に行き着いた。ただ、配慮のしかたが私とは違うのだなあ、と。そりゃ、遅れるのは悪い。ましてや、「sagingをentertainしておいて」なんていうメッセージを送るくらいなら、「いま○○にいます。」「あと○分で着きます」というきちんとした情報を書いてくれたほうが、私だって、事務所でいつ来るかいつ来るかと気を揉まず、気分転換に外出だってできるのに、と思わざるを得ないのは事実だ。けれど、彼女は明らかに、私に気を使ってくれたのだ。それから、指令を受けて私をentertainしてくれたスタッフたちも。きっと私が日本人だから、苛々させないよう一生懸命に、あんなにもつまらないジョークを言って取り囲んでくれたのだろう。仕事時間を削って(その是非は問いませんよ…)。

彼らを批判すること、異文化に生きる人々を非難したり、蔑んだり、哂ったり、嘲ったり、腹を立てたりすることはたやすい。できるだけそのようなことをしないようにと思ってはいるけれど、たとえば「お国柄だから…」といったような言葉を使い、異文化の人々を陰で笑ったり、嘲りはしないまでも「日本人のほうが性質的に優れている」といったニュアンスを含んだ話し方・考え方をしたり、といった場面は、今回に限らず、身近にもっとあるのかもしれない、と思わされた一件であった。


        
 

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