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フィリピン社会と政治 10
臓器売買
2003.12.8(月)
日本のA○RAという雑誌に、以前、「顧客は日本人:臓器ビジネス」というタイトルで、マニラ近郊の湾岸コミュニティ、B地区に関する記事が掲載されたことがある。

B地区は私が調査をさせていただいているPA地区のすぐ近くであり、地元では、B地区の臓器ビジネスはとても有名である。PA地区もB地区も、ともにマニラ湾に面した広大な埋立地であり、かなりの数の人々は不法居住者(スクワッター)として住んでいる。人々の主な仕事は、荷積みなどの港湾労働、小船での魚介類の採集(しかし、地元の人でさえ、この地区の魚介類は汚染されているといってあまり食べたがらない)、トライシクルの運転手(この両地区にはジープニーは乗り入れをしていない)、サリサリストア(小規模商店)、ベンダー(行商の物売り。ここではタバコ、アイスクリームなどの嗜好品をはじめ、ほうき、マット、ござ、パン、米、とうもろこし、釣竿、おもちゃ、文房具など、ありとあらゆるベンダーが一日中コミュニティを歩き回っている)、女性の場合はニンニクの皮むき(ニンニクの皮をとり、中のつるりとした小袋だけの状態にしてネットに詰め、ニンニクを大量に使用する食堂などに販売する)、同様にタマネギの皮むき、ネイルケア(道具を持って家々を回る)、洗濯の請け負い、などなどである。そして、どうやって食べているのかわからない人々がたくさんいる。
数は少ないけれど、ホワイトカラーや専門職の人々もいる。スクワッターエリア内にも、とても大きいぴかぴかの家もあれば、建築会社のコンサルタントとして働いているエリートの住民もいるし、政府系の機関で働いている人もいる。「それなのになぜここでスクワッターを?」と思うのだが、それは、地域内での階層的な力関係事情によるところが大きい。

PA地区は石とコンクリートで地盤は固められているが、B地区はもっと湿地帯で、地面はゴミの混じった真っ黒い土でどろどろしている。PA地区は、居住地としては記載されていないものの地図には陸地として存在するが、B地区は地図上では「海」になっている「幻の地域」である。

ある日、いつものようにPA地区を訪れ、住民組織Aの役員をしているおじさんのお宅でお話していたとき、Aが運営しているコミュニティ・クリニックの話になった。マニラ首都圏でも診療費が高くて技術が信頼できることで有名なQ総合病院から派遣されたドクターが24時間常駐して、病院のないこの地域ではずいぶん役に立っているのだという。
「Q病院のドクターですか。すごい! 診療費は?」と私は尋ねた。
「薬や治療はお金がかかるけど、診察だけならタダだよ。」と住民組織Aのおじさん。
「それに、24時間営業なんですね?」
「そう。この地域には絶対に24時間の診療所が必要なんだ。なぜだかわかるか? 夜中には殺傷事件が多いからだよ。人が刺されるのはたいてい夜だ。」
「えっ…」
このあたりから、話が思いがけない方向に向いてしまった。
「どうして刺されるんですか? たとえば私も刺されるかもしれませんか?」
「たいていは、日頃みんなから恨まれてる奴が刺されるんだ。尊大な(mapagmataas)奴とかね。ほら、あそこのR夫人なんか、そのうち刺されるかもしれないな。それか、酔っ払って喧嘩して刺すんだよ。または、家庭内で…。夫婦喧嘩とか、親がドラッグに溺れた息子を刺すとか。まあ、中にはドラッグ中毒で関係のない人を刺す人もたまにいるから、気をつけるように。まあ、これは気をつけようがないけどな。とりあえず、ここではあまり知らない人と接触しないように。」
「はあ…。」
私は唖然とした。そんなことを平然とおっしゃるなんて、なんと恐ろしい地域だ。
「この診療所はそんなわけでとても人々の役に立っているんだ」とおじさん。
「そうですか。しかしまた、どうしてQ病院のドクターが来てくれることになったのですか? あの病院はとても高いし、私も一度入ったことがあるけど、入り口なんてまるでホテルみたい。お金持ちのための病院でしょう。」と私は尋ねた。
「ううん…。君、腎臓ビジネスを知ってるか?」と、おじさんは唐突に言った。
「知っています。あの、すぐそこのB地区でたくさんあるという…。」
「そうそう。B地区で始まったんだよ、あれは。」
「日本人も買ってるそうです。日本の雑誌で読みました。」
「らしいね。買ってる人のことは良く知らないけど。」
「このPA地区でも臓器を売る人がいるのですか?」
「もちろん。それがね、あの診療所で契約される…。」
「はっ!? 何ですって!」
「saging、考えてもごらん。酔っ払って人を刺すようなやつも、刺されるようなやつも、ろくなやつじゃないんだよ。だいたいは、仕事もなくてドラッグに溺れて、ドラッグを買う金がなくなるとホールドアップ(引ったくり)や脅しで金をつくって…という奴らがいっぱいいるんだ。ここでは。刺されて診療所に運ばれて、もう手遅れと分かったとき…そりゃあ集まってきた家族は泣いてるけど…そこでね、その刺された彼の臓器を摘出して売れば、家族は少なくともしばらくは金に不自由しないんだよ。ここの住民に遺産なんてあるはずがないだろう。葬式も出せないんだから、臓器が売れるなら家族は賛成するよ。家族にとっては何の役にも立たなかったくだらない男でも、死ぬ間際に家族のために生産的な(productive)ことができるなら、ただ喧嘩で死ぬよりはいいじゃないか。それだけじゃなく、彼の臓器はほかの誰かのためを助けることになるんだ。で、家族が賛成すると、すぐにQ病院に運んで手術だ。Q病院は移植手術を請け負うからね。どうだ。みんなハッピー、win-winだ。わかったか?」

ちょ、ちょっと待ってください。その「手遅れ」の判定は誰が下すのです? 本人の承諾はいらないのですか? まだ助かるにもかかわらず臓器を摘出される恐れはないのだろうか…? 日本では脳死認定でさえ、「生命倫理」の問題としてきわめて厳しく扱われているのに、そんなに簡単に、win-winって…。
「なんにも役に立たない、ろくでもない奴なんだから、せめて死ぬ前くらい家族のために」…と、こんなに当たり前のようにおじさんが語るということは、本当に同意する家族が多くいて、契約が成り立っているからなのだろう。その事実を前に、誰が「いや、人の命というのはどれも等価値です」、「命を売買することは良くない」などと言えるだろう。

腎臓は数万ペソから十万ペソ程度で売れるというが、人によって言うことがまちまちなので、よくわからない。その中にはミドルマンへの手数料が含まれているのだという人もいるし、含まれていないのだと言う人もいる。移植のレシピエントは、チャイニーズ・フィリピノ、日本人、そしてアラブ系の人々だという。

「もちろん、腎臓は2つあるから、生きているうちに売ることもできるよ。まじめだけれど仕事がなくて子供を食わせられない人がここにはたくさんいる。だから、ちゃんとミドルマン(ブローカー、仲介人)がいて、腎臓を売りたい人に斡旋をおこない、契約が成立するとやはりQ病院に送り込むんだ。」
「ミドルマンはどこの国の人ですか?」
「チャイニーズ・フィリピノがいるのは知ってるけど、それ以外に外国人がいるのかどうかは知らない。彼らは紹介料でかなり稼いでるよ。」
「腎臓をひとつ売ると疲れやすくなって、港湾労働は難しくなるんでしょう?」
「いや、たとえ腎臓が2つあっても、港湾労働者なんていつ失業するかわからないんだから、いっそ売って大金をもらったほうがいいだろう。なんといっても、人のためにもなるんだからな。ホールドアップをするよりはずっといいよ。」
おじさんはいとも簡単にそうおっしゃった。

「俺は売らないよ。まだ、そこまで生活には困ってないし、手術が失敗したら恐いからね。でも、俺にろくでもない息子がいたら、『おい、お前、臓器でも売ってちょっとは母ちゃんを助けろ!』って言うかもしれないな。」


太宰治の短編小説「日の出前」のラストシーンに、「兄さんが死んで、私たちは幸せになりました」という言葉が出てくる。私は以前にそれを読んだとき、文学の世界のものとしてという前提の下で、ある衝撃を受けたものだが・・・。


        
 

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