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トラブル ♯1
ジープニー転落事故
2003.8.24(日)
初めて「交通事故」に遭った。

この日、前夜遅くまで、ある臨時の通訳の仕事の打ち合わせで、私はとても疲れていた。けれど、この日は私が修士論文のモデルとしたいと思っていたあるコミュニティに、初めて足を踏み入れる予定だった。マニラ市のキアポの近くにあるKALAWという場所で、案内してくれるNGOのワーカーと待ち合わせをしており、私は渋滞を見越して、約束の時間の2時間前には家を出た。私はケソン市の端に住んでいるので、このコミュニティにはとても遠い。渋滞がなければほんの30分の道のりだが、いつも道は混雑していて、月曜の朝など、3時間かかることもある。電車もなく、ジープニーでその道を通る以外に交通手段がないのでしかたがない。
ジープニーをご存じない方に説明すると、ジープニーとは、アメリカ軍がおいていったジープを改造して作ったとされる乗り物で、路線が複雑なことと治安が悪いことを除けば、安く、もっとも手軽な交通手段である。後ろに入り口があり、電車のように向かい合って片側に約9人ずつくらいが座れる座席が並んでいる。入り口にドアはなく、どこででも乗り降りが可能。乗るときは手を挙げて止めればよいし、降りるときは運転手に「パラー(止めてー)!」とか「タビ・ラン・ポ(寄せてくださーい)!」といいさえすえば、ジープは道の脇に寄って急停車してくれるので、さっと降りる(道の真ん中で止められてしまうこともあるが)。
けれど、この日は日曜日。朝が早かったこともあり、あまり渋滞はなかった。そのせいか、私の乗ったジープニーの運転手は、これでもかと言うくらいびゅんびゅん飛ばす。マニラの交通マナーの悪さを知っている方ならご想像いただけると思うが、車線変更、逆走、急停車、もう、なんでもありなのである。
混んでいない道ではジープは飛ばす、というのは当たり前の話だけれど、それにしてもこのジープ、運転が荒いなあ、とは思っていた。でも、私も急いでいたし、疲れていたし、気にも留めずにそのまま乗っていた。
KALAWに近づいたキアポで、私は入り口に近い、最後方の空いた座席に移動した。お客は私と、私の横に座っていた女性、そして、向かいに彼女の友達と思われる女性が2人、そして前方に男性が1人いただけであった。前方の男性が「パラー(止めてー)」と言った。その瞬間、運転手は急カーブを切った。
交通の要所であるキアポは道が広く、片側4車線くらいある。一番中央分離帯に近い道を走っていたこのジープは、脇に寄せるため、一気に4車線の車線変更をやろうとしたのである。右に急カーブを切った車に対し、進行方向に向かって左側に座っていた私と私の隣の女性は、向かいの座席の女性二人の胸元に飛び込む形となった。隣の女性が私の腕を掴み、私はそのまま、入り口から外に放り出された。私は入り口付近の手すり棒に手でつかまったので、数メートルは下半身が引きずらるだけで済んだ。けれど、結果的に最後は手を離し、路上に投げ出された。ジープは、私が落下した10メートルも前で止まった。
本当に幸いなことに後続車はいなかったので、私は落下しただけで済んだ。さらに幸いなことに、待ち合わせをしていたNGOワーカーの男性が、たまたま偶然に横を通ったバスに乗っており、私が落ちるその現場を見ていた。彼はすぐに降りて、助けに来てくれ、私を落としたそのジープの運転手に、残っていたほかの客を別のジープに乗せ変えて、そのまま最寄病院のPhilippine General Hospital(PGH)の救急室に連れて行くように命令した。

彼は運転手を病院内のトラフィック・ポリス(交通警官)に引き渡し、レントゲン代250ペソを出させて、私の診断が出るまで待つように言った。
PGHはフィリピン大学医学部(私のいるデリマンキャンパスではなく、マニラキャンパス)に付属している国立病院で、腕はいいのだろうが設備は悪く、「貧乏人の病院」と言われている。広い救急室には、骨が飛び出ているような重症の患者から、内科疾患の患者までが混在している。

私は問診表に記入をし、状況を聞かれた。問診表も診察もすべてタガログ語だった。さすが、国立フィリピン大学の付属病院である。「まずレントゲンを撮ってください」と言われた。私は、「骨は異常ないと思うから、それより先に腕と背中の傷を消毒してほしい」と頼んだが、「レントゲンが先です」と言われ、とても遠いレントゲン室に行かされた。そこではかなり待たされた。加えて、ものすごく蚊が多かった。病院に来てデング熱やマラリアになったのでは洒落にならない。
レントゲンを撮って、救急室に戻ったのは3時間後であった。事故発生から2時間はたっている。やっと外傷を消毒された。消毒薬を擦り込むように塗られるので、ものすごく痛い。さらに、アレルギーテストの注射を1本と、化膿どめの抗生物質の注射を2本も打たれた。そんなに化膿が心配されるなら、早く消毒してくれればいいのに…。

それからレントゲンの結果を待つこと1時間。自分でもたいして心配はしていなかったとは言え、異常がないことが証明されたので、トラフィックポリスに言って、運転手の連絡先をもらうと同時に、彼を釈放してもらう書類にサインした。「薬代も出しなさい(薬は処方箋をもらって、外の一般の薬局に行って買い求めることになっている)」とポリスは言ったが、レントゲン代250ペソを払った運転手にはもはや持ち合わせがなかった。もう正午を過ぎていたので、拘束された午前中の商売がまるまるあがったりになってしまったわけで、私は、かまいませんと言った。無茶な運転をした運転手が悪いに決まっているのだけれど、どのドライバーもそうだし、「この国で交通事故に遭っても何の請求もできない」という言葉を何度も聞いたことがあるからである。あのまま落とし逃げされず、病院に連れてきてもらっただけでも幸せとしなくてはならない。実際、病院でも「道がすいているときに飛ばすジープにーの最後方に座ってはいけない」「いつでも手すりにつかまっていなくてはならない」と私も注意されたのだ。

懲りない私はそれでも午後から予定していたコミュニティに行ったが、そこでもいろいろな人に「最後方に座っているのが悪い」、「よくあること」、「止まってくれたその運転手は優しい」などと言われた。

それにしても、もしもあのとき後ろに同じようにスピードを出している車がいて、それに轢かれでもしていたら、と思うと本当に恐ろしい。これを教訓に、ジープにはもう乗らない…などということができるわけはないので、最後方座席にはできるだけ座らないようにしようと思う。これを呼んでくださっているマニラ在住の方々も、本当に気をつけてください。

もうひとつの教訓。「熱帯フィリピンでは傷を覆っていると化膿するので、空気にさらしたほうがいい」と聞いていた私は、翌日からそれを実行し、自分で買ってきたヨードチンキで消毒していたら、3日後、痛くて眠れないくらいに腫れてきた。フィリピン大学デリマンキャンパス構内の病院に行って、「空気にさらしたほうがいいと思ってそうしました」と言うと、
「空気のきれいな地方や室内ではそうですが、排気ガスや埃の多いマニラでそんなことをしてはいけません!」
と言われた。以降1週間、私は毎日そこに通って、「消毒液を擦り込む」激痛の処置を受けなくてはならない羽目になった。気をつけましょう。


        
 

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