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フィリピン大学での授業 ♯2 
地域組織化のロールプレイ 準備編
2003.7.22(火)
台風7号(名前はHarurot、国際コードネームはImbudo)がルソン島を横断し、マニラ首都圏にも警報(一番弱いシグナル1)が出された。小学校は朝から休みと宣言され、昼過ぎには、首都圏内の大学も本日は休校とされることがニュースで告げられた(※)。
にもかかわらず、私たちは16時から21時まで、フィリピン大学のCollege of Social Work and Community Developmentの一室で、なんと「劇の練習」をしていた。

毎週水曜日、私はフィリピン大学の同カレッジで、学部長のカリト先生のクラス(詳細は6発18日の日記をご参照ください)を聴講させていただいている。相変わらず授業中の英語は禁じられ、フィリピン人でさえ「そんなタガログ語使わないよ。ふつう英語で言うよ」と言うほどの濃密なタガログ語(俗に言うところの「ディープ・タガログ」)に満ち溢れた先生の「名物講義」は、先々週で一区切りがついた。講義の内容は、「コミュニティ・オーガナイザーが外部者としてコミュニティに入って住民の組織化をおこなう過程および注意点」であった。
先週からは、それを実際に体感して理解するために、「ロールプレイ」という手法が取り入れられている。クラスを3つのグループに分けられ、それぞれに

グループ1. Entry and Investigation(コミュニティに入り、人々とともに過ごす)
グループ2. Social Analysis(コミュニティの問題や課題を探求する)
グループ3. Development of Potencial Leaders(潜在的なリーダーを探しだす)

というテーマが先生から与えられる。私はグループ2に入れてもらった。一人のグループメイトに「saging、フィリピンに来て何年目?このクラスにいるってことは、タガログ語はできるんだよね」ときかれ、「まだ4ヶ月」と答えると、不安な顔をされてしまった…。それもそのはず、私たちがおこなう「ロールプレイ」というのは、きちんとした脚本を一言一句覚えて演じる「劇」ではなく、アドリブを入れてより自然なコミュニティの様子を再現するものなのである。さすが「住民を中心とした地域開発」を説くカリト先生だけあって、授業もとことん「学生主体」「参加型」である。

先週はグループ1の発表があった。タイトルは、「真面目にやってるの?」
…「フィリピン大学では優等生で通っているが、とかくダメダメなオーガナイザー」役の3人組が農村に入る。「あら、あれが農民かしら!」といいながら、スタイリッシュな服装に派手な化粧でコミュニティに到着した彼らは、人々に「ハーイ、ファーマーズ!」と気取った英語で呼びかけ、「私たちは名門フィリピン大学の学生です」と尊大な態度。人々がそれでも「一緒にどうぞ」と勧めた昼食の席で肉ばかりを食べ、「お水ないの?」と、彼らの貴重な水を奪い取った挙句に、「何これ、まずーい!私、ミネラルウォーターじゃないと飲めなーい!」「このへんにホテルないの?」と叫び、偉そうに「マニラからのお土産よ」と言って化学肥料と殺虫剤を渡し、果てはジンを飲んで酔っ払ってしまう…。ここまでくるともはやコメディであり、あまりに極端すぎる。思わず「そんな人いないでしょー!!」と叫びたくなった。でもカリト先生によると、「こういう学生が実際にいるから困るんだよ」…とのこと。本当に…?

私は、中学の3年間、英語部で英語劇をやっていた。演劇は語学の習得にはとてもよい手段で、劇を通して、単語のアクセントや発音はもちろん、よく使われる口語的表現や、英語的な文のトーンを覚えることができた。しかし、今回の「劇作り」のプロセスでは、それを何倍も上回る学びがあった。
脚本のあらすじをつくるためのミーティングでは、現役のコミュニティ・オーガナイザーであるE(実は私がよくお世話になっているNGO「COM」のスタッフで、オーガナイザーのトレーニングをおこなっているプロフェショナルである)とW(彼も以前COMでインターンとして働いていた)が議論をリードしていた。Eは多弁ではないけれども、さすがは経験を積んだオーガナイザーだけあって、人の意見を引き出し、それらを最後まで聞いてから話をまとめる能力は、グループの中でも際立っていた。Eはおそらく、コミュニティでもこのように話をするのだろうなあ、と思った。ミーティングでは、「何をテーマにするか」「オーガナイザーをどのような位置づけにするか」を話し合った。
そして、その議論に基づく形で、同様にオーガナイザー経験をもつAが脚本作成と演出を引き受けた。Aは中立的なオーガナイザーというよりもどちらかといえば「活動家」であり、「人の話をきく」ことよりも「人をリードする」ほうが得意といったタイプである。
さて、Aが簡単な脚本を書いて持ってきたが、Aは実はビサヤ地方の出身で、第一言語はタガログ語ではなかった。タガログ語圏のグループメンバーたちはその脚本で使われている言葉を「微妙に違う」と言いながら、よってたかって書き直した。(私にはそれらの議論はまったくといってよいほど理解できなかった。)
そして、配役を決めた。経験豊富なEが「オーガナイザー」、Wが主役の農夫「Jおじさん」を演じることになった。そこでEは、大胆にもAの書いた脚本の中の自分の台詞を、大幅に書き直した。尊敬すべきは、勝手に書き直したわけではなく、「ここでオーガナイザーがあえてこの質問をして、住民を動揺させるシーンをつくったほうがよい」、「ここではオーガナイザーは沈黙し、住民たちのたわいもないおしゃべりを数分間続けるべきだ。その会話の中に、実はコミュニティの問題が隠れているという設定にしよう。」などと、すべてにおいてほかのメンバーに理由を説明し、タガログ語の理解に障害のある私を除く全員を納得させた上で、直していったことである。オーガナイザーの経験のない数名のメンバーも、「なるほどねえ、彼はさすがに本職だわ」と納得するばかり。
一方で、「Jおじさん」役のWも、これまた脚本を大幅に改造、人々が集まっておしゃべりをするシーンでは、「現状に悲観的な住民と、改革の希望と意志のある住民との意見対立を暗示するべき」などと、この劇のテーマの根本に関わる(と私には思えた)提案を行った。
そうしてできた劇のあらすじは以下の通り。

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コミュニティ・オーガナイザーEは、勤めているNGOの上司から、明日からある農村に外部者として入り、オーガナイジングの素地をつくるように言われている。しかし、その村について彼は何も知らない。「どうしたら村のことを知ることができるんだろう」とつぶやくEに、天使があわられる。「人々とともに暮らし、日常生活の中でじゅうぶんに話し合い、人々の目線でものを考えるのよ」
すると、「何を言っているんだ。お前は知識のあるオーガナイザーじゃないか。遠慮なくずかずかと人々の中に入っていけばいいのさ。」と高笑いする悪魔が出てくる。天使と悪魔は交代でEを誘惑し、ついには口論をはじめる。Eは悩むばかり。

翌日、村に入ったEは、家の前で闘鶏用の鶏を世話しているJおじさんに話しかける。Jおじさんは農家の苦しみを話し、「ところで、なんじゃったかいのう、あの、コンプリヘンシブなんとかというやつ…」「”Comprehensive Agrarian Reform(包括的農地改革)”ですか?」「そうそう、あれは何なのだね?」と聞く。Eは、農地改革の名前だけが知れても実際には何も変わっていないことに気づくのである。
そこへ、Jおじさんの妻のMおばさんが大きな洗濯桶をもってやってくる。オーガナイザーEは「おばさん、洗濯に行くならついていってもいいですか?」と言い、洗濯桶を持ってMおばさんについていく。しかし、洗濯場である川は恐ろしく遠かった。「ちょっと、遠くないですか?」と尋ねるEに、Mおばさんは「毎日のことだから、こんなの慣れよ。洗濯はここでするけど、炊事、皿洗い、水浴び、植物への水遣り…ぜんぶここから家まで水を運ぶんだから」と答える。
洗濯場には先着の女性たちがいて、「まあ、今日は若い子と一緒?」などとMおばさんをからかい、おしゃべりをしながら洗濯をする。「隣の家の子が病気になっちゃって」という女性に、Eは「ここに病院はないんですか?」と訊く。「ここってどこよ。1時間歩いて、そのあとカラバオ(水牛)に乗って行くのよ」と答えるおばちゃんたち。「ヘルスセンター(保健所)は?」と訊くと、「建物はあるけど、ゴキブリしかいないわよ。」「そういえば昔、政府からのヘルスワーカーが来たけど、頭が痛いって言う人にコンドーム、下痢をしている人にピルをくれたのよね」と口々におばちゃんたちはそう答える。「おばさん、僕はもっとこの村の話が聞きたいんです」と申し出るEに彼女たちは、「あんた、こんな噂ばなしが好きなの?Sおばさんの店(小規模商店)なら、毎日朝から晩まで誰かが集まって噂話をしてるわよ。」と教えてくれた。

かくしてEはその日の午後、Jおじさんとともに、Sおばさんの店を訪れた。そこでは、人々が米の値段の暴落について話していた。Eはときどき短い質問をしながら、その会話を聞いている。そのうちに、人々の中にも、状況に悲観的な人と、解決策を見つけようとしている人とがいることにEは気がつく。Jおじさんは大きな声で、「そうだ、この問題について、村人が一緒になって話し合うべきじゃないかな」と言い、一人の男は「そうだよ、一緒になって、一致団結して何かしようじゃないか」と立ち上がる。が、Sおばちゃんは冷めた口調で「こんな日の高いうちからそんな深刻な話をしないでくれる?子供がびっくりするわ」と水を差し、女性たちも「そうよ、男ったら、すぐにその気になって熱くなるんだから」同意する。結局、一人の女性が「じゃあ夜になってから、もう一度Sおばちゃんの店に集まろうか」ということになった。「おい、近所のほかの人にも声をかけて人を集めようぜ。」とやる気満々の人もいれば、「Sおばちゃん、ジンを用意しておいてくれよ」と言い、女性たちに「酒の会じゃないのよ!コーヒーでしょ!」「あんたたち、ほんとにやる気あるの?結局は集まって飲みたいだけなんじゃないの?」と叱られている男性もいて、人々は三々五々、家に戻っていく。後半はほとんど口を挟まなかったEはその場に呆然と取り残され、Jおじさんは「ああ、これからどうなるんだろう!」と叫ぶ。

このあと、私たちは観客に、「この劇は、オーガナイザーの行動についていくつかの教訓を示しています。それは何だと思いますか」と尋ね、クラス・ディスカッションを始める。ディスカッションだからどんな答えが出てきても良いのだけれど、私たちのグループが想定しているのは、

・コミュニティの課題とは、人々の生活、とくに噂話やおしゃべりの中に潜んでいる。
・一部の人たちが問題解決にどんなに乗り気であっても、ほかの人たちが乗り気でなければ議論を続けるのは難しい
・すぐに熱くなる男性たちに女性たちは批判的である。
・オーガナイザーEは、一部の人たちが乗り気になるシーンで口を挟み、悲観的な女性たちを説得する役目に回るべきであったかもしれない。しかし、それはあまりに短絡的すぎる。オーガナイザーは組織化の機会を与え、過程を助けるだけであって、積極的に住民を煽るべきではない。

などなど。

さて、当初、私の役は天使だった。事前に用意した台詞を覚えるだけでいいだろうというのが理由だった。しかし、実際にやってみると、私の語学能力で「悪魔と早口で口論し、悪魔の台詞にとっさにアドリブを入れる」ことは不可能であった。
代わって与えられた役は、年老いた農婦。住民たちがSおばちゃんの店の軒先に集まっておしゃべりをしているところに料理用油を買いにやってきて、「あーら、○○さん。いま、今年の米の値段について話してるのよ。まあ、あんたも座んなさいよ。」といわれ、「何なの、私は耳が悪いからよくわかんないけど」と言いながらその輪に参加する。このシーンもアドリブなので、基本の脚本はあるものの、毎回、内容が少しずつ違う。私は耳が悪い設定になっているので、相槌を打ったり、ときおり「何ですって?」と聞き返すくらいでよい。

大多数のクラスメイトは、昼間の仕事が終わってから17時半から20時半の授業に出席する社会人学生。そのため、練習はいつも平日の夕方か、もしくはグループメイトたちのほかの授業が終わってからの2時間となる。多くは20代後半で、30〜40代の人も混じっているのに、皆、役になりきって真剣に演じる。それが、またうまいのだ。ジェスチャーも豊富で、本当に農村コミュニティにいるんじゃないかと錯覚してしまうほど。皆、本物の農家のおじさん、おばさんに見える。ステージ上での立ち居振る舞いをチェックする演出監督役のAも、演劇部出身かと思うくらいの熱い指導(?)を繰り返す。どうがんばっても「フィリピン人らしいしぐさ」のできない私は、言葉だけでなく演劇という点においても、グループの中で明らかに目立って下手である。本当に、グループメイトの皆さんごめんなさい…。
夜のキャンパスで真剣に練習をしていると、久しぶりに「クラブ活動」のような空気を感じる。単位取得を目指しているわけでもなく、単なる聴講生に過ぎない私だが、グループメイトのこうした温かい気配りのおかげでこうした「ロールプレイづくり」に参加させてもらい、その過程で、書籍や講義型の授業からは学べないような地域組織化の理念や問題点を、さまざまなことを実感として学ぶことができた。英語を決して使わずにタガログ語で話す私に「外国人だからといって差別はしたくないから」と丁寧なタガログ語で説明しつづけてくれ、私にも役を与えてくれたたグループメイトたち(といっても、全員が私より年上だと思う)には本当に感謝している。
22時を過ぎると、フィリピン大学構内には公共交通機関であるジープニーがなくなってしまうので、車で通学しているグループメイト(なんといっても社会人学生が多いため)が、皆をキャンパスの近くのジープニー・ストップ(停留所)まで送り届けてくれる。私のアパートはたまたま一人のグループメイトのすぐ近くに位置するため、私は大雨でも台風でも、いつも車で家まで送ってもらっている。


※フィリピンでは、日本のように自然災害時の休校規定が各大学によって異なるわけではなく、国家機関であるCommission of Higher Educationが宣言すれば該当地域のすべての大学が休校となる。暴風警報については、「気象予報と台風」をご参照ください。


        
 

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