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フィリピン大学での授業 ♯6
Community Organizingと政治 その2
2003.10.15(水)
カリト先生のクラスで、学期末の試験が行われた。試験終了後、みんなで最後のinuman(俗に言う「フィリピン版飲み会」)をすることになっていたので、試験を受けない私も、皆の試験が終わるまで教室の後ろで待っていた。
試験といっても、問題用紙も解答用紙もない。午後6時ぴったりに現れたカリト先生は、黒板に4つの論述問題の「お題」をチョークで書きなぐり、「8時に回収します」とだけ言って去っていかれた。クラスメイトは、自分で持ち込んだYellow Paper(便箋のようなラインの入った黄色い紙。フィリピンに限らずいろいろな国で、ノート代わりに使われていると思う。日本では「ルーズリーフ」が主流だけど…)だの、コピー紙の裏だの、挙句の果てにはノートの切れ端などに、ひたすら答えを書きなぐる。目が点である。あとで先生に「あんな紙に書いていいんですか?」とたずねると、「Community Developmentはフレキシブルでなくてはならない。ミーティングでは地面を使う人だっているだろう。だからOKだ。ただ、あんまり小さい字で書かれると読みにくいんだが…。」とのこと。
さらに驚いたのは、試験だというのに、皆、テキストや携帯電話やノートは机の上に出しっぱなし、隣の人との間隔をあけるどことか、ひとつの机を囲むようにくっついて座り、はたからみると、まるでディスカッションでもしているよう。(もっとも、これは教室の机の数が足りないというのが原因かもしれない。)いつもの授業中にもお菓子を食べている人はいるが、テスト中にも、飴やクッキーを食べている人が複数いた。さらには、途中でトイレに行く人あり、タバコを吸いに行く人あり、お菓子の袋を捨てに行く人あり…。Mature Studentsの社会人学生なのに…文化の違いとはここまであるものか?と思ってあとでクラスメイトにその驚きを伝えると、「ここのカレッジだけだよ、こんなに自由なのは。だって、この論述は答えがないんだもん。自分の意見を述べるだけなんだから、時間内にきちんとエッセイが書ければなんでもいいんだ。」とのこと。私は「あー、そうなの…」と言うしかなかった。
ちなみに、タガログ語圏以外から来た学生など、たとえフィリピン人であっても、タガログ語より英語で答案を書きたい人はいるので、答案に使用する言語は、タガログ語、英語、カパンパンガ(パンパンガ地方の言語)は認められている。先生曰く、「それ以外で書く場合は翻訳をつけてください」とのこと。

私は登録もしていないモグリ聴講生なので、試験を受ける必要も権利もなく、代わりに、皆がテストを受けているあいだ、カリト先生のお部屋で1時間も、調査について個人的な指導をしてくださった。それもなんと、「英語で」である。この日に個人指導をしてくださることは前から決まっており、私は事前に、自分がこれまでおこなってきたことの概要と、現在、調査地で直面している問題について先生に書面でお伝えしていた。そのときは、タガログ語:英語を3:5くらいの割合で使っていた(つまり、タガログで表現できないところは英語で代用)。優しいカリト先生はそれについて、
「コミュニティではそこの人々の言葉を使いなさいと私は教えてきた。タガログ語を身につけようとしている君の努力はいいことだ。でも、私の授業では、言いたいことがあって、それが英語でしか言えないなら、前回のように英語で発言したってかまわないよ。ただ、私も同様に、タガログでしか教えられないことがあるし、あの授業を英語に翻訳することはできない。だから授業ではタガログ語しか使わない。学生は、たとえ外国人でも、それを理解しなくてはならない。まあ、でも今日は英語を使うことにしよう。sagingがタガログ語をききとることに必死になって、肝心の内容が話せなくなってしまうと困るから。」
とおっしゃった。なんと優しい先生。
確かにそうだ。私は日本語と英語とタガログ語を使うわけだけれど、それぞれの言葉でしか言えないことというのはあるはずだ。たとえば、これまでで特に印象的だったのは、まだこちらに来てまもないとき、"sama-sama pagkilos(直訳すれば「みんなで一緒に起こす行動?」)"というタガログ語がわからなかった私に、フィリピンのNGOワーカーが、それは英語でcollective actionと訳せると言った。確かにそうとしか訳せないのかもしれないけれど、でも、"sama-sama pagkilos"と"collective action"では、ニュアンスがまったく違うと今は思う。さらにこの"collective action"の通常の日本語訳は「集合行為」。この格差も、かなりのものである。

さて、その優しいカリト先生に私がご相談申し上げたことは、ほかでもなく、自分の調査地の状況と、それにどう関わればよいかということである。政治的な係争地における住民運動に強い関心のある私は、無謀にも、多くの人がその名前を聞いただけで「あそこはとてもpoliticalだ」と言うような地区(マニラ市PA地区)を調査地として敢えて選択し、その結果、調査開始1ヶ月しかたっていないのにすでに行き詰まってしまった。PA地区についてはこのウェブサイトでもほとんど記述したことがないが、とても説明ができないくらい大変な場所なのだ。住民組織がものすごく多く、その起源が、現政権のお抱えNGOだったり、左派系の政治組織だったり、教会だったり、同郷者団体だったりとばらばらで、各自が土地獲得運動に異なった立場を貫いており、その結果、無数の住民運動が存在する。コミュニティ・オーガナイジングの古典ソウル・アリンスキー理論の"Number is power."はあまりに空しく響くのだが、それなのになぜか、一部の住民組織は、たいしてNumberも集めてはいないのに、土地獲得の成功に近づいている。「なぜか」というのは、おそらく現政権にうまく利用された(あるいは利用した)からだと思うのだけれど、それを妬む/気に入らないほかの組織がすぐに邪魔に入る。たとえば、大統領宣言(Proclamation)によって少なくとも立ち退きはされないと保障されたにもかかわらず、ミーティングをしていると「必ず立ち退きはあるはずだ。あなたたちはだまされている」と乱入してくる組織がある。土地獲得後の都市計画に向けた測定をしていると、「勝手にうちの壁を測るな」という人がいる。そのたびに活動は中断され、ひとしきり口論がある。同組織の中ですら、「あいつは金をもらってこのあいだ別の組織のデモに参加したんだ」、「いや、あいつは金じゃなくドラッグで買収されたんだ」などなど、リーダー同士の紛争がある。P地区やD地区とはまったく異なり、そこで人々の話を聞いているだけで気が滅入るくらいなのである。
この点に対してカリト先生はこうおっしゃった。
「saging、現実を受け止めることを恐れてはいけない。君がPA地区で、"Number is power."が嘘だと思ったなら、それは君の結論でよい。君は、PA地区では"Number"以外のところで物事が決まると思うんだろう。それはその通りだ。君もわかっていると思うけど、実際のコミュニティでは、政治的な闘争ばかりで、授業で話してるようにはいかないんだよ。私は授業で"magkaisa(一丸となって)"だの、"sama-sama pagkilos"だのと言っているけれど、そうはいかないことのほうが多いんだよ。君がフィールドワークを通して観察したことは事実だ。たとえそれが私の授業とまったく違っていても、君はそのままを論文に書けばいい。Community Organizing(CO)は理論ではなく、フィールドワークをしないと始まらないというのはそういうことだよ。少なくともsagingは3つのコミュニティでインテグレーション(溶け込み)をしているんだろう。そこで観察したことはどんなことであれ、恐れずに書くべきだ。」
私「でも、先生はあれだけ授業で"Number is power."や"sama-sama pagkilos"を強調されるじゃないですか、それはなぜですか?」
先生「saging、私たちにはビジョンが必要なんだよ。夢だということはわかっていても、"magkaisa"が必要であるというビジョンがないと、COはやっていけないんだよ。どうやら君は、『組織』ではなくて『運動』という切り方のほうが好きのようだけど、私は、どんな運動にも組織があり、組織を考えるにはCOが必要で、COには、"Number is power."という夢を語ることが必要なんだよ」

私はそのお話にいたく心を動かされた。ご自身が貧困層の出身で、マルコス政権下ではNational Democratsの活動家として長く長く、労働者や農民の組織化に関わってこられた先生は、
「心配しなくても、これは都市に限ったことではないよ。たとえばパンパンガ州の○○では…あるいは、コモンウェルスの都市貧困地区の例では…」
と、一気に10前後の類似の例を次々に挙げて、いかにコミュニティ内部の政治的紛争がCOに影響を与えるか、というお話をしてくださった。
そして、こうアドバイスをしてくださった。
「君が真剣にPA地区のことを論文に書きたいなら、恐れずに、人々と話をしなさい。君の考えている以外にも『組織』というのはもっとあるはずだ。政治的組織や住民組織だけじゃなく。Organic Organizationと呼ばれるような、同郷者集団や、PA地区に入植した時期によっての『第○期グループ』というのも存在するはずだよ。ただ人々はそれを『組織』と認識していないかもしれないから、もっと年老いた人に、入植までの話を聞かせてもらいなさい。居住地運動を考えるなら重要だよ。入植時期は、現在の利害関係に大きく影響しているからね。とにかく、君はまだフィリピンにいるのだから、時間の許すかぎりPA地区にとどまって、どんな組織があるのか、それらがどうやってできたのか、話を聞きつづけなさい。フィリピンは組織ではなく個人的な関係が幅をきかせていることもあるけど、それでも、『組織』という概念は重要だよ。」
「でも、カリト、あとひとつだけ問題があります。ああいう場所では、私がすでにいくつかの特定の組織のリーダーと最初に近い関係をもってしまっているので、彼らに、ほかの組織に行くなと忠告されます。だから、私はたとえば、彼らと仲の悪い、Pという組織がどこに拠点を持っているのかすらまだ知りません。海沿いのほうにあるのだと噂で聞いたことがあります。自分で行ってみようと思うのですが、危ないから一人で行くなと言われています。特にあそこは全体が高い壁で覆われてコミュニティが外部から見えないように遮断されているから、私も危ないような気がします。」
「それはね、saging、彼らの忠告に従いなさい。危ないからではないよ。客観的にみれば、Pが危ない組織というわけでもないし、君は華人系フィリピン人くらいには見えるから、PA地区を歩くこと自体は、そんなに危なくはない。でも、君はすでに特定の組織と関係を構築したんだろう。彼らの忠告に背くことは、それを崩すことになる。それは、調査の限界だし、しかたがないことだよ。論文にそう書けばいいんだ。ただ、どうしても行きたい場合は、バランガイ・チェアマンなり、組織Pの本部に先に相談して、しかるべき権威のある人を紹介してもらって、いまお世話になっている組織の人にそれを説明してから行くように。ただ、これは難しいので行かないほうがいいだろう。行かなくても、君がインテグレーションをすすめるにしたがって、噂でもきくだろうし、行く機会も生まれるかもしれない。もう少し時間が必要だ。PA地区は確かに環境が特殊だから大変だが、恐れずに通い続けなさい。」

正規学生でもない私にここまでアドバイスをしてくださるなんて、このことで、私のカリト先生への畏敬の念はますます高まった。PA地区での活動はあいかわらず問題が多いけれど、先生のアドバイスに従って、「話をきき」続けようと思う。そして11月から始まる次のセメスターも、先生の授業を(失礼ながら事務室も通さず、聴講料も払わずにモグリで)受けさせていただく予定である。


        
 

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