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Fence-sitting


活動家時代の記録 ♯6 
エチオピア・ウガンダ訪問 第5日目
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1998年8月7日  

GYCの初日。開会式は公開会議となっているので、正装で出席しなくてはならない。朝7時朝食のところ、5時半に起きてシャワーを浴びる。張り切りすぎだ。なにしろ、記録に残る会議だし、来賓もプレスも来られるので。
早く準備をしておいてよかった。私は急きょ、予定時間よりも一時間早く会場に行って準備を手伝わなくてはならなくなった。昨夜ついにそろわなかった資料を印刷するのに、会場である、国連アフリカ経済協議会(ECA)のプリンターを借りるためだ。…入場許可証でもあるIDカードを胸につけてきれいな会議場に入ると、ビジネスセンターという小さな部屋に案内された。ウインドウズとマックが2台ずつ、プリンターが1台、コピー機が一台ある作業室のような所だ。さっそくプリントアウトをして、コピーにかけた。コピー機は、Hの日本のオフィスにあるものより性能のいいもの。使い方を教えてくれたエチオピア人のECA職員に「ハイ・テクノロジー!」と言ったら笑われた。将来は国連職員になりたいと考えることのある私にとって、こんな国連のビジネスセンターでコピーをとれるなんて、感激の嵐である。
何種類もの原稿を数枚ずつコピーしなくてはならない。他の国のメンバーも駆けつけてきて、手伝ってもらう。会議開会の時間が迫る。コピーをホッチキスで留める作業を、ECAの職員が手伝ってくださる。日本人メンバーの「モトゲン(もとの原稿)どこ?」という声。“What is モトゲン?"と、ECAの職員がたずねる。「オリジナル!」と答えながら、自分がいま国連職員と一緒に仕事してるんだなって思うとドキドキする。2度と来られるかどうかわからないのだから!
“Which is the original?”今度は私が英語で言うと、"Here's モトゲン!"エチオピア人が答える。どっちが日本人だかわからない。

開会ギリギリにコピーが完了した。ここで初めて、今日の会議場に足を踏み入れる。素晴らしい会場だ! 国会スタイルの円形の会場で、前には議長団が座れるようになっている。中央には国連のマーク、両端の電光掲示板には“The 3rd Global Youth Conference for the End of Hunger”という文字! 3年前ニューヨークで国連本部を見学させてもらったときに見た信託統治理事会の会議場のようなスタイル。国連に強い憧れを抱く私にとって、こんな嬉しいことはない。席は決められていて、名前と国名、所属の書かれたネームプレートが置いてあった。ECAがつくってくれたそうだ。本当の国連の大使や各国代表のに夜会議の時と同じプレートだという。私たちが今胸につけているIDカードも。すごく嬉しい。
私はこの会議内でも書記担当なので、端の方の席だった。一席に一つずつマイクがついていて、ミネラルウォーターの200mlボトルとコップが置かれている。本格的だ。同時通訳の機械は、ヘッドホンではなくて片耳だけにつける小型のもの。邪魔にならなくて使いやすい。何から何まで最新設備という感じだ。ノートとボールペン、会議のアジェンダ、発表原稿のコピーを用意して、テープレコーダーと入れ替え用のテープを机上に出すと、いかにも今から国際会議なんだ、という気持ちになり、心も引き締まる思いだ。
「おはようございます。」議長の平凡な第一声で会議が始まった。GYCの全体の議長は日本人なのだ。テープを作動させる。開会式の始まりだ。公開会議なのでプレスもいっぱい入っていて緊張する。日本のプレスじゃないのだからどうということもないのだが…。
来賓が前の席に着く。開会のセレモニーとして、エチオピアのとある小学校の子供たちがエチオピアの伝統的な歌と踊りを披露して、各国の旗を掲げながら、GYCのテーマソングである"Sound of Peace"を歌う。この歌は、ベトナム戦争に抵抗するヨーロッパの作曲家がつくったのだが、発表する前に戦争が終わったので、そのままGYCに贈られた歌である。会議の最後には必ず歌う。インドに行ったとき、英語のいっさい読めなかった私は、大学生にカタカナをふってもらって歌詞を覚えた記憶があるけれど、簡単な英語だ。
来賓のスピーチが続く。書記をしている私は、内容を吟味する余裕がない。エチオピアの労働社会事業大臣、UNDPエチオピア事務所代表、ユニセフエチオピア事務所次席代表、FAOエチオピア事務所代表…と、そうそうたる肩書きが並んでいる。このような会議を敢えてエチオピアという飢餓存在国で開催することへの承認、YEHのような若者のムーヴメントを歓迎し、支援しますという内容が多くて感激した。そして、出席はされなかったがこのGYCに寄せられた祝辞が披露された。その中には、私がこの世界でもっとも敬愛する、ユニセフのキャロル・ベラミー事務局長からのものもあった。このときばかりはペンを止め、記録をテープに任せて聞き入った。なぜ私がそんなにもベラミー氏を敬愛するかといえば、単に彼女がユニセフのトップだからというばかりではない。
私たちYEHは94年から97年まで、ユニセフが90年に開催した「子どものための世界サミット」の中で参加国71カ国の国家元首が採択した「世界宣言」を守って欲しいと訴える署名活動をしてきたのだ。その世界宣言には、「2000年までに達成すべき数値目標」が明確に掲げられている。たとえば、「妊産婦死亡率を3分の1にする」「5歳未満児死亡率を半分にする」など。もし、宣言どおりに五歳未満児死亡率が全ての国で90年の半分になれば、飢餓は終わる(飢餓終結の目安は五歳未満児死亡率70‰以下または乳児死亡率50‰以下)。これは重要な宣言である。2000年までに飢餓を終わらせるとコミットしたのだから。さらに、宣言の末尾に「この達成のために、特に子供たち自身の参加を呼びかける」とある。こんな宣言文が他にあるだろうか? YEHはこれにコミットした。第1回目のGYC開催のきっかけも、「子どもたち自身の参加」を世界に示すためのものだった(ちなみにこのときの会議場はなんと日本の京都の宝が池の国際会議場だった)。GYCに限らずYEHの活動はいつもこの宣言文を意識したものだった。署名活動も、3年間で世界で100万人を目標に、ユニセフに対して「世界でこれだけの人がサミットの宣言に注目しているのだから!」とプレッシャーをかけるためのものだった。そして、署名活動開始後1年たった1995年、ニューヨークで開催した第2回GYC世界大会では、21万人分をユニセフのキャロル・ベラミー事務局長本人に手渡したのだ。私もその会議に参加していた。ベラミー氏は機関銃のようなにパワフルに私たちに語りかけた。「私たちは同じゴールを目指しています。皆さんと一緒に仕事をすることを楽しみにしています。皆さんとのパートナーシップを歓迎します。ニューヨーク声明(私たちがGYCで出した決議文)をおめでとう。」と語った。その頃から熱狂的に「ユニセフの職員になりたい」という思いを募らせていた私にとって、ステージ上のベラミー氏は光り輝いて見えた。100万人の署名を集めれば再びベラミー氏に会える。その思いで私は署名を集めつづけた。今まで私は、署名といえば「○○建設反対!」「国は謝罪せよ!」などというような、抗議のものしか知らなかった。提出したことで喜んでもらえるような署名なんて初めてだった。私の熱意はさらに高じ、1997年、日本全体の署名を統括するリーダーになった。そして97年8月31日、署名数は目標の100万人を達成した。一刻も早く、それをベラミー氏に渡したかった。今回アフリカに来たのも半分はそのためだった。
けれど、今回、超多忙なベラミー氏は、ニューヨークから遠いエチオピアまでは来られないとのことだった。代読されたメッセージの中で彼女は、「皆さんが100万人の署名を集めるという約束を守られたことを本当におめでとう。私たちも子どもたちにした約束を守るために、目前に迫った2000年まで行動します。」と言っておられた。
愛するユニセフとこんなふうにつながってパートナーシップを持っていられること。それが、私がYEHを7年間も続けてきたもっとも大きな理由である。NGOと政府が敵対的に対立すること、NGOがいつも国連や政府を批判することに強い疑問を持っている私にとって、政治的リーダーシップへの働きかけを大切にするYEHの姿勢は最大の魅力である。互いの非難からは何も生まれない。NGOは市民レベルでの最大限の活動をしながら、国際機関や政府組織のマクロレベルの開発プロジェクトの成果を認めて行くべきだと思う。NGOとは「非政府組織」である。しかし、それはODAや政府のプロジェクトを否定するために集まった組織という意味ではないはずだ。ミクロとマクロの双方の連動によって、地球上の問題は初めて解決の方向へ向かうだろう。だから、私は他団体や政府や国連を批判する団体は、別にその団体自体を私は否定しないけれども、本当に心を一つにしてやっていくことは難しいと思う。私は数ある団体の中から、飢餓を終わらせるための10代の自分の基盤としてYEHを選んだ。それは、YEHには他を受け入れるだけのスペースがあったからだ。ユニセフや政府機関からの承認を受け、パートナーとして共に活動していけるのは本当に嬉しいことだ。それだからこそ私は署名のリーダーも引き受けたのだ。

開会式が終了した。議長団選出(といっても立候補で全て決まった)のあと、ロビーでコーヒーブレイク。会議中のこの休憩のことを、インドやバングラなどアジアではティーブレイクといった。アフリカではやっぱりコーヒーブレイクというのだ。エチオピアのコーヒーはおいしい。とても苦くて、濃い。ミルクも特にクリーミーなので、カフェオレも濃厚でおいしいのだ。
会議場に戻ってみると、飲みかけのミネラルウォーターは全部、新しいものに替えられていた。たいへんな贅沢だ。あの水はどこに行くんだろう、と疑問だった。
次に、参加者全員の自己紹介。なぜか全員英語になる。時々わざとアムハラ語(エチオピアの言語)で名乗るセネガル人やガーナ人がいたりして、エチオピア人が大いに喜ぶ。
自己紹介に時間がかかり、このあとすぐにランチブレイクに入る。ランチは、このECAの会議場の2階の食堂でいただく。大学の食堂のように、トレイを移動させていって順に好きなものをとっていく形式だ。料理は西洋風で、味も濃く、また、ベジタリアンにも食べられるメニューが充実している。生野菜のサラダがあった。エチオピアのメンバーが、「これはさっき回収されたミネラルウォーターで洗ってるから日本人が食べても大丈夫だよ」といったので、おいおい、本当なのかしらといぶかしみながらも、みな食べた。さすがは国連で、各国からの大使や国連職員もここで食事をするのだから、誰でもが食べられるようになっているのだろう。
ここの食事があまりにもおいしいので、どの国の参加者にも大好評であった。でも、これで12ブル(約600円)だそうだ。日本の常識で言えば安いが、エチオピアでいったら大変な額である。ここはエチオピアではない。国連というのは国家の領土の上にありながらも特殊な空間だと、ニューヨークでも言われた(あのニューヨークの国連本部の敷地内は、実はアメリカの土地ではないそうである。無国籍の土地だそうだ。国連本部の郵便局では、そこでしか売られていない切手が買える。そのかわりアメリカの切手は買えない)。

午後は、UNDPとユニセフの専門家からの、特別なレクチャー。ユニセフは主に「母子の健康」について、UNDPは「人間開発指標」について。ビデオの音声は通訳ブースに届かないため、通訳なしで英語で聴く羽目になる。はじめに、“HUMAN DEVELOPMENT INDEX”ときいたとき、私は勝手に「人類発展指標」と訳してノートに書き込んだが、あとの話の流れから、人間開発指標だったのだと気づく。人類発展指標っていったら、全然違った意味になってしまう!「猿から人類へ」のような話になってしまうだろう。
活発なQ&Aセッションのあと、いよいよ各国YEHのカントリーレポート。自国でどういった活動をしているか、日本からの支援金によって実施しているプロジェクトはどのような形で進んでいるのか、などの発表だ。今日はアジアからバングラとインドネシア、中米からドミニカとハイチが発表した。Q&Aも活発に行われた。以前は、こういったカントリーレポートに対して質問をするのは支援国日本だけだった。でも今回は、途上国のメンバー同士が、途上国における政府との関わりあい、富裕階級に対する啓発活動、などについて活発にやりとりしていた。飢餓が自分の国だけの問題ではなく地球全体の問題であり、自分の地域だけでなく世界中の飢餓を終わらせることがこのGYCの目的であり、YEHの目指すところなのだという認識が、徐々に全員に根付いているのを感じる。私たち日本人から見たら当然のことでも、自国の飢餓に直面している人々にとっては、他国にまで目を向け気を遣うのはそう容易なことではないだろう。
特に、島の多いインドネシアでは、YEHの活動を広げていくのが非常に困難だという問題について、中米の国々と共に話し合っていた。また、あらゆる点で大きな成功をおさめているバングラデシュの成功の秘訣を、みながききたがった。バングラデシュ代表は、
「それは、YEHだけでなくてプロジェクト実施地域の住民の努力によるものです。まず、その地域で生きている住民自身が飢餓を終わらせたいと思うことが一番重要です。自分たちは飢えるためではなく生きるために、そして飢餓をなくすために生まれてきたのだと。そして、そこから行動が生まれるのです。」
と発言し、人々の意識というものがいかに大切かを強調していた。

夜、今日のGYCの様子がETV(エチオピアンテレビ)で放映されるとのことで、ホテルのロビーに全員が集合してテレビを見た。トップニュースで8分くらい流れた。大臣や来賓のスピーチの場面も流れた。みんな大喜びで、気持ちよく眠った。

つづく


        
 

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