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コミュニティ・オーガナイジングとアクティビスタ ♯6
愛すべきコミュニティ・オーガナイザーたち
2003.10.28(火)
パサイ市での火災の現場を訪れた後、私はふたたび、LOCOAのワークショップ会場に向かった。すでに夕方になっていて、ワークショップはほとんど終わっていた。この日は朝から、各国の活動報告と、現状分析のための分科会がおこなわれたという。

今夜こそは、"Asian People Unite Tonight!"のキャッチコピー(発案者はB)を体現すべく、サンミゲル・ビールを飲む会を実施せねばならない。サンミゲル社製品ボイコット運動など「どこ吹く風」とばかりに、韓国、フィリピン、インドネシア、インド、そして日本からの参加者は、韓国人のLOCOAコーディネーターの案内で、ティモグ通りの韓国カラオケ店に繰り出した。サンミゲルビールを飲みながら、韓国の歌や、フィリピンの「アナック」(各国語に訳され、日本では「息子よ」と訳され、加藤登紀子などが日本語版を歌った)や日本の「上を向いて歩こう」(アメリカで「すき焼きソング」と呼ばれる)、「乾杯」(なぜかタガログ語バージョンがあるが、原詩とは似て非なる歌詞に訳されている…)など、各国の代表的な歌を披露した。
このような機会には決まって各国の「アクティビスト・ソング」というものが歌われる。フィリピンで言うならば、"Bayan ko"を筆頭に、マルコス政権下で抑圧されていた人々の、自由を願う歌。韓国にも「アクティビスト・ソング」はたくさんあるようで、肩を組んだり、拳を振りかざしたりして勇ましく歌うのが常である。日本も、と言われるのだが、私は日本における「アクティビスト・ソング」というものを知らないので、「日本にはない」と答えている。…これをお読みくださっている方の中で、「いや、ある!」という方がおられたら、ぜひとも教えてください(※)。
ジョン・レノンの「イマジン」も歌われた。リクエストしたのはほかでもない私である。
はっきり言って、私はこれまで「イマジン」を人前で歌う人の気が知れなかった。今年の3月にアメリカがイラク攻撃を始めたときにまたこの曲が注目を集めていたのは知っていたが、たとえば私の郷里である京都や大阪の街角で、人々が集まってこの曲を流したり合唱したりするなどという光景を思い浮かべるだけで私はぞっとした。なんだか、ムードに酔うだけの偽善のような気がしてならないのである。かく言う私も、10代の頃は、「イマジン」を鳴らす平和運動のデモに参加したり、アースデイのパレードに参列し、プラカードを掲げながら大音響で自分の所属NGOのテーマソングを鳴らしたりしたものである。しかし、いまはとても、そんなことで何かが変わるとは思えないし、かつてのそうした行動は「自己満足」でしかなかったのだと思っている。あれから5年以上の月日が過ぎ、いつからか私も、街なかを行進する平和運動や、「イマジン」をテーマソングとする運動をきわめて冷笑的に眺めるだけの日和見主義者に「なりさがって」しまった。
それなのに、私はこの日、一緒にいた各国のオーガナイザーたちに「イマジン」を歌おうと提案した。私は、反グローバリゼーション運動に100パーセント献身する気はない。戦争などなくならないと思っているし、南北格差も、飢餓もなくならないと思っている。国際連帯だの同胞だのという言葉は好きではない。
けれど、私は、COMのオーガナイザーを心から尊敬している。彼らは、左翼系の運動組織から転換した人々である。私は、彼らの言葉や行動は夢想やムードではないと思っている。反グローバリズムと言われても、彼らの言葉なら真剣に耳を傾けて聴きたいと思う。
私はこれまでの数ヶ月のうちに、日本語ですら誰にも一度も話したことがないような自分の「アクティビスタ」経験をごく自然に彼らに話し、アドバイスを受けてきた。
コミュニティ・オーガナイザーとは、非常に高いコミュニケーション能力を求められる仕事である。彼らは非常に鋭い。たとえば、若いオーガナイザーのトレーニングを担当するBは、人間観察と洞察力に優れ、いろいろなことを見抜いてしまう。たとえば「saging、君は他人に触られるのが好きじゃないんだね?」とか。この「他人に触られる」というのは、フィリピンの習慣のひとつで、女性、おばちゃんは、非常に馴れ馴れしく他人の体に触れる傾向がある。その程度は人にもよるが、「おはよう、元気ぃ?」太腿や背中をぺたぺた触り、撫で回されると、「ぎょっ!」とせざるを得ない。彼女たちにとっては親しみの表現で、悪気はまったくないのだから、私はその都度、平静を装って「我慢して」いるけれど、Bには見抜かれているようだ。私がそう言うとBは「へー、知らなかった。男性がそれをやったら問題だけど、女性が女性を触るのはまったく自然なことだと思ってたよ」と言う。私は思ったことをあまり言葉にしないのだが、そうした些細なことをきちんと話し合うことの必要性を、彼らに教えられている。
もっと重要な問題について話すこともある。ある日、
「saging、日本人は、フィリピン人から『カミカゼ』とか『ハラキリ』と言われたら傷つくか?」
と、Bに言われたことがある。この2つは、「ジャパゆき」と並んでフィリピンであまりに知られている単語である。
「私は傷つきはしないよ。皆、冗談で言っているのだろうし。ただ、両方、第二次大戦に関係のある言葉だから、unseasyには感じるけど。」と私。
「ハラキリの意味は知っているけれど、カミカゼって何なんだ?」とB。
「カミカゼというのは戦闘機の名前だろう」
と、そばにいたオーガナイザーのSは言う。ここで私は、蒙古襲来の話をすることになった。
B「すごいなあ、ちゃんと意味があるのか。知らなかったよ、君はどうしてそんなことを知ってるんだ。歴史が好きなのか?」
私「小学校でも習うよ」
私から彼らに質問することもある。
「こんなに毎日、朝から晩まで、ときには何日も泊りがけで働いていて、奥さんは怒らないの? それは結婚時のコンセンサスだったの?」
…Bは21歳で結婚して父親になり、いまや3人の子供がいる。共働きなのでずっとyaya(乳母)を雇ってきたという。彼曰く
「成功するビジネスマンは金があって時間がない。成功するオーガナイザーは金も時間もない。失敗するビジネスマンは時間があるが金がない。失敗するオーガナイザーは…論外だ。さて、この中で夫にするにはどれがいい? 無論、成功したビジネスマンに決まっている。でも、成功したビジネスマンを夫にするのは高望みだ。…そう言って納得してもらうしかないよ」
と、なんだか冗談とも本気ともつかぬ回答(いまこれを書いていて、論理がむちゃくちゃであることに改めて気づいた)。

「saging、どうして君は、アクティビスタと呼ばれることを嫌う? 自分自身に日和見主義者のラベルを貼るのはもうやめるべきだ。僕たちはすでに君を、コミュニティから研究材料を奪っていくだけの日本人だとは思っていない。君は、この経済格差から、自分がフィリピン社会やコミュニティに溶け込むことは不可能だと思っているのかもしれない。でも、それは僕たちも同じだ。僕らは『貧しい人々の一部としてともに働くべきだ』と言う。でも、実際は、僕らは貧しい人々の一部なんかではない。同じフィリピン人とはいえ、僕らは有給のオーガナイザーで、彼らは貧しいスクワッターだ。同じにはなれない。ただ、僕らは、変化を起こすプロセスを彼らと共有するものとして自分たちの仕事に価値を置く必要がある。」
Bはそう言う。そして、私を「アクティビスタ」と呼び、"Gud nyt my Japanese comrades!(おやすみ、日本の同志よ!)"だの、"I send u a friendship ring. promise me di mo isasanla ha?(君に友情のリングを送ろう。質入するなよ!)"だのというわけのわからないテキストをくれる。もちろん、半分はジョークなので私も「PAWNSHOP(質屋)に行きましたが、リングが赤く染まっていたので買い取ってもらえませんでした」などと返しておく。

この日の最後に、インドから来たDが、
「私は70年代にフィリピンでコミュニティ・オーガナイジングのトレーニングを受けた人間の一人だ。コミュニティ・オーガナイジングの理念がいまもアジアの国々で生きているのであれば、それはとても嬉しいことである。私はいつも、あの頃のアリンスキー理念に立ち返っては活動を続けている。」
と言った。私は決して、イデオロギーで動いているわけではない。「反戦」や「反グローバリズム」という言葉に心を動かされることはもはやない。けれども、相当に厳しいコミュニティ・オーガナイジングの訓練を積み、仕事を続けてきた人々のことは心から尊敬している。反戦だの平和だのという言葉やイデオロギーだけで語られる「連帯」に賛同することはとうていできないけれど、実際に貧しい人々とともに生きようとしている(という言葉も使い古されてすでに嘘っぽいし、共産党の武装ゲリラ組織であるNPAだって「貧しい人に共に生きている」のだからこのような表現は良くないと思うけれど)人々の口から発せられる"Asian People Unite Tonight!"という言葉には賛同できるのかもしれない。


※確かに日本にも「国鉄労働組合歌」などはありますが、あまりに一部の組織の歌であり、アクティビストソングと位置づけるのは難しいように思います。ベトナム戦争を歌い、現在は小学校でも教えられている「ヒロシマのある国で」は知名度は高いと思うのですが、あれはアクティビスト・ソングでしょうか?


        
 

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