日和見バナナ
We are students of development.
Hiyorimi Banana by "saging"


INDEX

Profile

Pilipinismo

Fence-sitting

Keso de Bola

About

Links

管理人の
メールアドレスはこちら
ご覧ください

TOP

TOP >> Pilipinismo 目次 >>

Pilipinismo


トラブル ♯5
ホールドアップ
2003.11.21(金)
2003年、フィリピン滞在中のトラブルの最高峰。ジープニー転落事故に続く恐ろしい事件、ホールドアップ(引ったくり)に遭った。それもなんと、下宿の敷地内で!

この日、私はマカティ市の商業エリアに行っていた。フィリピンのネットワークNGOであるCODE-NGOが、Social Development Weekを記念し、マカティ市の巨大ショッピングモール「グロリエッタ」で毎年恒例のイベントを開催していたのだ。そこでは1週間、特設ステージでフィリピンの社会開発に関するビデオが放映されたり、講演会やパネルディスカッションが組まれたり、音楽やダンスが披露されたりする一方、CODE-NGOに加盟している多くのNGOsがブースを並べて展示会をする。クリスマス用のキャンドルやカードといった手工芸品を売る団体、ビサヤ地方の民芸品のバッグや布を展示販売する団体、無農薬の食品を売る団体、似顔絵を描いてファンドレイジングをする若者の団体、環境保全を訴えるTシャツを売る団体、書籍を展示販売する団体など、さまざまな加盟組織がいろいろなブースを出していた。私はまず、貧困層への住宅供給プロジェクトにに関わるNGOブースで5冊の書籍を買い、ニュースレターをもらい、そして、知人へのクリスマスプレゼントとして、キャンドル、カード、そしてレイテ島の名産だというピンク色のココナツ・ワインを3本も購入した。この日は前もって、いろいろ買うことを予測し、珍しく1000ペソ以上持ってきていた(普段持ち歩いているのはだいたい100〜200ペソ)のだが、買い物が終わったとき、すでに手元には50ペソしか残っていなかった。帰りのジープニーの乗り場に向かおうと隣接するランドマークを通過したさい、柄のついた使いやすそうなタワシが目に留まり、27ペソで購入。財布には本当に、帰りの交通費しか入っていなかった。

マカティから、ジープを2台乗り継ぎ、40分くらいで下宿の近くに到着する。マニラ市を走るジープは下宿の真正面通過してくれるが、マカティから来るジープニーは、下宿の400メートル離れたところまでしか通っていないので、その路線に乗るときは、私はいつもはそこで降りて400メートルを歩くのが常だった。
私は、小さなポシェットを肩から斜めがけにして、両手に買物袋を持っていた。なにしろ、書籍5冊にワイン3本、それに、重くはないがかさばる「柄つきタワシ」を持っていたので、400メートル歩くのはなかなか大変だった。時刻は夜の8時50分。
下宿の門の前について、呼び鈴を鳴らした。私の住まわせていただいている下宿は、前にも書いたように、広い敷地の中にあるお屋敷である。道路から敷地に入るときには門をくぐるのだけれど、その門は、外からは非常に開けにくい。メイドさんたちは慣れているので自分で手を伸ばして中の鍵を開けて入ることができるが、外部者がそんなことを試みようものなら、とても時間がかかり、そうしているうちに4匹もいる犬に吠えられる、という仕組みで、防犯上はなかなか都合が良い、はずである。門の開け方に慣れることのできない私は、外から帰るときはいつも、呼び鈴を押して家の誰かに出てきて開けてもらっていた。たいていは門のすぐ裏の小さな小屋に住んでおられる洗濯係のメイドさんが出てこられるのだが、彼女が出てくるのに時間がかかる場合は、奥から「女中頭」のCさんかその娘さんが出てきてくれる。なんといっても、呼び鈴を押すと同時に4匹の犬が吠えたてるので、しばらく待っていれば必ず誰かが出てきてくれることになっていた。
この日は、洗濯係のメイドさんは出てこられなかったため、私はしばらく、門の外で待っていた。そのあいだに、私の隣に、若い男性が並んで立った。私は、「Cさんの娘さんのボーイフレンドだろう」と思った。これまでにも、私が家に着いたとき、ちょうど娘さんのボーイフレンドが家に遊びに来たのと鉢合わせしたことがあったからである。
しばらくして、Cさんの次女のBが出てきて戸を開けてくれた。私は中に入った。男は、Bに向かって、私を指差しながら、こういいながら一緒に入ってきた。
「ジュリエットは彼女か?」
この時点では私はまだ、彼はBのボーイフレンドだと思い込んでいた。
Bは「違う」と言った。私たち3人はもう完全に敷地の中、家の前庭にいた。そして、男は急にナイフを取り出して私に向け、低い声で"Sa akin ang bag mo(お前のカバンをこっちによこせ)!"と言った。
ようやく、彼がBのボーイフレンドではないことに気づいた私は、
「ああ、ホールドアップだ。すごい手口だなあ」
と妙に冷静に納得した。そして、"Yes, sir."と言い、両手に持っていた買物袋を地面に置き、肩から斜めに提げていたポシェットを下ろして彼に差し出した。彼はそれを受け取り、
"Sige, takbo na lang kayo, ha(よし、二人とも走って失せろ)"
と言った。私は走って、お屋敷ではなく、家の裏側に回った。Bは走らなかった。男は自分もすぐに走って門を出て行った。私はそれを見届けてから、Cさんの旦那さんのいる台所に回り、"Tatay, holdup(お父さん、ホールドアップ)!"
と叫んだ。Cさん、旦那さん、ほかのメイドさんがすぐに出てこられ、門に駆けつけたが、もちろん、男は消え去った後だった。

男が持ち去ったのはポシェットだけで、買い物袋は無事だった。そして、信じられないくらい運のいいことに、盗られたそのポシェットは4月に50ペソで買ったもので、私がフィールドワークに持ち歩くものだからもはや形は崩れ、色が落ち、ファスナーは3箇所も壊れ、ポケット部分には穴があいていた。明るいところであれば遠めにもぼろぼろと分かるので、もし昼間だったら狙われなかったのではないかと思う。ポシェットの中に入っていたのは、7月にPhilcoaの露天で買った50ペソの折りたたみ傘(すでに骨が折れているのに「まだ使える」としつこく使い続けているもの)、なぜか着替えとして持っていた5年物のTシャツ(中学の体育祭で揃えたもので、クラスのロゴが入っている…日本では着られず、もったいないのでフィリピンに持ってきてフィールドワークで使用)、使いまわしのペットボトル(中身は水道水)、約20ペソしか入っていない財布、そして、店で「買い取り不能です」といわれたかなり旧式の携帯電話だけであった。盗られて少し困ったのは、財布に入れていたフィリピン大学のIDと、携帯電話(買いなおすとなると中古でも2000ペソくらいするので)、そして携帯電話に入れていた電話帳のメモリー。
いつもなら私は携帯電話と財布はジーンズのポケットに入れ、カバンには調査用のノート、手帳、傘、水を入れている。しかし、この日に限って、めずらしくマカティに行くものだから、私はポケットのない服を着ていて、財布も携帯電話も、ポシェットに入れていた。反対に、いつもカバンに入れているノート類は、本を買ったついでに、本と同じ買物袋のほうに入れ替えてあったので、無事だった。つまり、ほとんど実質的な被害はなかったのだ。
けれど私はときどきは、カメラやラップトップ、大切な資料をポシェットやリュックに入れて持ち歩くこともある。今回はあまりに被害が少なかったけれど、もし、そんなときに襲われていたら、私は素直にバッグを差し出したかどうか分からない。躊躇したり、逃げることを考えたりしたかもしれない。多くのホールドアッパーはナイフや銃で脅しをかけるが、要求に応じて物を差し出せば、危害を加えずに逃げていくという。そこで抵抗すると、…結果は推して知るべし、である。また、今回はたまたま(?)、私が彼のタガログ語を理解できたからいいようなものの、彼の言っていることが分からず、たとえば「ああ、Bのボーイフレンドが何か言ってるなあ」、「荷物を持ってあげるといってるのかな? いえ、いいですよ、自分で持つから。」くらいに思って無視していたら、大変なことになったに違いない。アメリカで以前、"Freeze!"を"Please"と聞き違えて日本人の留学生が射殺された事件があったけど、特に言葉が不自由な場合、そういったことは容易に起こりうる。

それから、私はいろいろな人に意見を聞き、この出来事の原因を考えた。

・私は明らかにショッピングの帰りと分かるランドマークの袋を持っていた。
・私は荷物を大量に持って、歩くのが遅かった。
・ジープニーを降りてからの400メートルは車の通行は多いが夜は人通りが少ない。
・彼は私をタガログ語で脅迫した。

この4点を考えると、彼はたまたま、私がジープニーを降りたとき、あるいは歩いているときに「金を持っていそうな」私に目をつけ、あとをつけてきたのだろうと考えられる。私が狙われたのは単なる偶然であり、彼は、私が外国人であることも分かっていなかったのではないか。
これが、その場にいたメイドさんたちのご意見であった。

しかし、一方で…

・中には銃を持ったガードマンがいないとも限らないのにあえて敷地に入ってきた。
・4匹の犬が吠えているのにあえて敷地に入ってきた。
・下宿の門の横の表札には、華人系であるご主人の苗字が表示されている

という4点を考えると、もともと、この下宿のしくみを知っている人が、私を狙った可能性も考えられる。犯人は何度かこの下宿を遠くから観察しており、私を待ち伏せていたのではないか。下宿の前の道は確かに夜は暗いけれど近くにはメイドさん家族の知り合いのトライシクルドライバー(待機中)がたくさんいる。彼はそうした状況を見越して、最初の「ジュリエットは彼女ですか?」という言葉で、通りにいる人たちに、あたかも知り合いのように思わせてさりげなく敷地の中に入り、彼らの目のないところで犯罪を起こすという戦略をもっていたのではないだろうか。
メイドさんたちは口を揃えて「そんなことはない。だいたい、家を出る時間も家に帰る時間もあまりに不規則なあなたを待ち伏せするほど犯人は暇じゃないでしょう」と言う。

ところがさらに、私を震撼させたのは、その翌日に起こったある事件だった。家から2キロくらいのところで、10歳の中国系フィリピン人の女の子が、朝、自家用車で通学中に武装集団に取り囲まれ、誘拐されたのだ。一緒にいた運転手は撃たれて死亡、メイドさんは重体。両親には身代金1,000万ペソが要求されたという。フィリピンでは華人系の人口は3パーセントに過ぎないし、混血も進んでおり、彼らはタガログ語を話し、フィリピン社会に溶け込もうとしているので外観からは判断できないこともあるが、フィリピン航空、マーキュリードラッグ、マニラホテルなどの大手企業が軒並み華人資本に支えられており、華人系フィリピン人を狙った誘拐や強盗は後を絶たない。凶悪犯罪の被害者は華人系であることが多く、長く執行されていない死刑の許可を出さないと来期選挙ではアロヨ大統領を支持しないと、華人社会が大統領に強く要求しているほどである。(もっとも、エストラダを除いた歴代大統領自身も華人系であるときいたことがあるのだが…。)
この下宿のご主人の苗字は、あきらかに華人系とわかる苗字をお持ちで、門の表札をみれば、一目で華人の家とわかってしまう。そこに私のような東洋系の顔をした人間が出入りすれば、華人の娘と思われても仕方がない。
それに気づいた私は、引越しを含めた対策を考えることにした。

ところが後日、こんな話もきいた。
「華人系フィリピン人を襲っているシンジケートも実は華人系であり、彼らは華人社会に関する詳細な情報をもとにターゲットを絞る」
「一連の誘拐事件は、華人社会が政権転覆を狙ったものである」
だとすると、華人ではない私が狙われる可能性は低いのかもしれない。が、裏社会のこと、どの情報が正しいとは限らないし、何はともあれ、私の顔があまりフィリピン人には見えないのは事実である。
特にクリスマス前と選挙前は「ものいり(物要り)」なのでお金に困った人が犯罪に走りやすいと聞く。とにかく、家の近くであろうが遠くであろうが、気をつけようと思う。


        
 

Pilipinismo 目次 >>

>「日和見バナナ」トップへ
[an error occurred while processing this directive]