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Fence-sitting


活動家時代の記録 ♯11 
エチオピア・ウガンダ訪問 第10日目
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1998年8月12日  

朝の6時に食堂集合。朝食に1時間かかった。まず、6時10分に、一人一皿ずつ果物が運ばれてくる。マンゴーとバナナがおおざっぱな形でのっている。それが35人全員に行き渡るまで10分はかかる。そのあと、トーストされていない食パンが来て、マンゴージャムか蜂蜜をつけて食べる。きわどい選択肢だ。次に、「フライドエッグかスクランブルエッグか?」ときかれる。「全員スクランブルエッグ」と伝える。そのほうが混乱がなくていいだろう。すると、注文を取りに来た人が消えるなり、別の人がスクランブルエッグを持って来てくれた。珍しく早い!と思っていると、その人はスクランブルエッグだけでなく目玉焼きも持ってきていて、順においていった。どんな注文をしたかに関わらず、適当にスクランブルと目玉焼きがおかれていく。「もういいよ」誰かがあきらめたように言って、全員おとなしくそれを食べる。朝から疲れる。"Tea or Coffee?"と、またたずねられる。「なんて答えたって一緒よ」という冷静な意見が、スタッフの口から出る。それに、もう7時10分前。ホテル出発予定時刻は7時。でも、ほとんどの人がまだパンを食べている。「出発を遅らせないとしかたがない」ということになる。朝からみんなの機嫌が悪い。スタッフがピリピリしている。もうコーヒーも紅茶も飲まないことにして、出発の準備をする。

この日はンバレという地区の職業訓練センターの視察に行く。バスは2台。YEH(子ども)とスタッフ・オブザーバー(大人)で乗り分けることになる。その方がお互いの精神衛生のためによいだろう。YEHはバスの中で騒ぐし、大人は眠る。YEHのバスの中でも、静かに眠りたい人は前の席に座ることになった。
ところはこのバス、補助席に背もたれがないので、補助席に座ったら眠ることは絶対にできない。また、バスの作りが悪く、右端の座席の下にはスペースがほとんどない。窮屈でしかたがない。
カンパラ市内を出て西へ向かう。車窓を見ていると、緑の中に日本の国旗がはためいていた。「何あれ?」よく見ると、JICAの看板が掛かっていた。職業訓練センターらしい。広大な土地。JICAの他にも、NGOのプロジェクトらしき建物が目につく。
とにかく延々と日干し煉瓦と赤土の村が続く。緑といったらバナナとサトウキビばかり。
「完全なモノカルチャー経済だよ、ここも。豊かそうに見えたのはカンパラだけだよ。」
昨日テラスで話していた友人がつぶやく。そのくせ道だけはどこまでも舗装されている。バスはその道を揺れながら走る。
「舗装されてるけど補修されてないんだよ。」
舗装されているのはイギリスの植民地時代の遺産。確かに、農産物を運ぶルートはこれで完璧だ。
なぜかどこまでも電線はきちんとのびているのに気づく。現在の、ムセベニ大統領の政策だそうだ。ムセベニ氏はウガンダ国民にかなり支持されている。前のアミン大統領が悪すぎたのだからなおさらだけれども。
ナイルの源流が見えると言われ車窓をのぞくと、なんの変哲もない広い川にダムが作られていた。興ざめ。よく考えてみればナイルの源流はビクトリア湖なのだ。このあたりから、バスが激しく揺れる。2時間半が経過。みんな疲れ切っている。ほとんどの人が寝ている。こんな席で寝られるのかと思ったが、案外寝られるものだ。
3時間半が経過。舗装されていない赤土の道に入る。途中でエンジンがオーバーヒートしていったん降りる。その村でバナナを買って食べる。一茎あたり1ドル。どのくらいついているかと言うと、約80個のバナナがついている。1本あたり1円! 子どもたちのお腹が、目に見えて膨らんでいる。あきらかに栄養失調だ。見渡すかぎりバナナしかないにもかかわらず、あちこちの家の前に大量にバナナが積んで売られている。
「バナナしかない村でバナナ売って、誰が買うんだ。」
あるメンバーが、怒ったような声でいった。

やっとンバレについたときにはお昼だった。4時間かかっている。ここでも村の人々が、わざわざ練習したという英語の歌で歓迎してくれる。役人が来ていて、もったいぶった様子で札束を取り出し、少しずつ募金箱に入れながら、延々1時間のスピーチ。スワヒリ語なので誰にも理解できない。村人向けのスピーチのようだ。一言も議事録をとれないので、さすがに私も苛立ってくる。「このスピーチは別に使わないから記録しなくていいよ」スタッフの声。みんな、昨日とはうって変わって「ウガンダ嫌い」ムードになりつつある。
そして、最後にやっとわかったのは、この村の職業訓練プロジェクトはまだ始まっていないということだった。今日日本のメンバーを迎えて訓練センターの定礎式をして、明日から着工、完成は10月という。私たちはなんのために来たのだろう…。
結局、スピーチのあとは定礎式をして、その村で買っているという牛を見てすぐバスに乗った。みんなかなり機嫌が悪い。ひたすら寝ている。
3時半頃、バスはちょっとした町に停まった。今から昼食を食べるという。こんな時間に。とにかくすぐ食べられるもの、全員一緒でいい、とフレッドが注文した。マトケという、バナナをマッシュポテト風につぶした主食と(マッシュポテトの味しかしない)、チャパティ、本物のポテト、トマト、そしてチキン。チャパティにチキンを包んで食べていたら、フレッドがいった。
「ウガンダのマナーでは肉は最後に食べるんだ。」
「どうして?」
「肉は大切なものだからさ。」
…よくわからない。それに、どうやって味のないジャガイモと、ジャガイモの味のバナナと小麦粉を食べろというのだ。

ここから先、バスに酔う人が続出。私はもう何も気にしない。こういうときには、ひたすらタフになりきるしかない。やっとホテルに帰りついたら7時。夕食を食べないで寝てしまう人が一部屋に一人はいるという状況。病人だらけになってしまった。看護班の持ってきた薬が足りない。みんなから薬の寄付を募っている。

明日はゆっくりした行程だが、どうしても行かなくてはならないところがあるので、数人だけは恐ろしい行程を決行しなくてはならない、とのこと。ルクンギリという、ウガンダ最南端の街に、YEHジャパンが2年前に贈った雌牛が2頭いて、ウガンダに来た限りなんとしてでも見に行かなくてはならないとのこと。実際ウガンダでいま動いているプロジェクトは、さきほどの職業訓練センターをのぞけばそれだけなのだという。けれど、そこへは車で片道5時間かかるという。今日は3時間と言われていて4時間かかったのだ。5時間と言われたら、6時間は覚悟である。全員ではとても行けない。ウガンダのコーディネーターのエマヌエルとジャクリーン、日本からは、ビデオのRさん、カメラのOさん、そして通訳スタッフのYさん、GYC議長のSさん、そして筆記の私が行くことになった。全員、健康で、途上国に比較的慣れている。朝、5時に出発だという。

夕食はあいかわらずオーダーをきいているはしから別のものが置かれていく。もしかしたら、注文を取れと上の人に指示されているから取っているだけなのかも。もう何も気にしない。ティーをお願いしたら、「ウガンダティー」でいいかと言う。面白そう、と思ったが普通の紅茶だった。

つづく


        
 

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