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Fence-sitting


活動家時代の記録 ♯12 
エチオピア・ウガンダ訪問 第11日目
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1998年8月13日  

午前4時に起床。同室のメンバーを起こさないように支度をして、ロビーへ行く。ロビーでテープの編集をしていると、ホテルの受付係がやってきた。「何でこんなに早いんだ?」ときかれる。「ルクンギリに行く。」と答えると、大きな目をまん丸くしていた。
「そんなに遠いの?」と彼に尋ねた。彼がマイルで答えた。キロに計算すると・・・380キロ。東京から米原くらいか。
Sちゃんと通訳のYさんが、ミネラルウォーターの1リットル入りペットボトルと、昨日ンバレ村でおみやげにもらったトマトを持ってきた。ウガンダ人のエマヌエルが、「ンバレ村から日本人に食糧援助だ。」と言って笑っている。それをきいて、受付係が食堂に消えたかと思うと小さな段ボール箱を持ってきた。「食料だ、持っていけ」と。何だかまるで、私たちが飢えているみたいだ。
Rさんがビデオカメラを持って現れた。5時ジャスト。「じゃあ行こうか」ということになったが、もう一人のウガンダメンバーのジャクリーンが来ていない。5時半まで待った。エマヌエルが電話をかけに行って、「途中で拾おう」ということになった。一刻でも惜しいのに。
2台の車に分乗する。普通の乗用車。トヨタのセダンだ。乗ってすぐに眠る。とにかく体力勝負の一日になることは間違いないので、眠れるときに眠っておくのが一番だろう。後ろに無理矢理3人座っているので、寝にくいこときわまりない。しかも、車が広い舗装道路(国境まで続く道)に出るなり、眠るどころではなくなった。時速150キロでぶっ飛ばすのである。怖くてしかたがない。次に目を開けたときにはあの世かも知れないと思う。本当に、少しでも対向車と接触でもしたら、まず全員死亡だろう。それなのに、何ということだ! 対向車線に飛び出して、ものすごい追い越しをやるのである。カーブでも! 向こうからいつ同じように150キロの車が来るともわからないのに。私は気が気ではなかった。隣に座っていたOさんが、「150キロか。野球の球とおんなじスピードだよ、俺たち。」とつぶやいている。ますます不安になる。
ついに一睡もできないまま3時間が過ぎた。その間どうやって過ごしていたのか記憶にない。ひたすら肝を冷やしながら、変わらないフロントガラス越しの景色を見ていたと思う。少し車のスピードが落ちてきた。街にでたのだ。ンバララという結構大きな街だった。ここで車を止めて、朝御飯にする。ホテルでもらった段ボールの中身は、アルミホイルに包まれた殻付きのゆで卵と、食パン一斤と、バナナ、そしてポットに入った紅茶。Yさんが、エチオピアンエアラインの機内食で出された塩を持っていて、ゆで卵につけて食べた。トマトはミネラルウォーターで洗ってそのまま食べた。すごく美味しかった。トマトってこんなに美味しかったんだと感動すると同時に、こんな状況下で食事が美味しいと感じられる自分でいられることに感謝した。トマトの芯やバナナの皮、卵の殻はそのあたりに捨ててもいいそうだ。バナナの皮はヤギが来て食べた。なんともコメントがない。
ンバララから1時間、ついに舗装されていない道に出る。赤土、バナナの木、昨日よりもずっとひどい景色だ。暑くて窓を開けると、赤土が飛び込んでくる。「どうする?」「カメラだけ守ろう」カメラをしっかりとビニールでくるんで、窓を開けた。風と赤砂が、つもるように降ってくる。窓から、明らかに焼畑とわかる焦げた地面が広がっているのが見える。禿げ山もたくさんある。肉体的にも精神的にも限界が来ている。ここでもまだ電線が通っている。子どもが、水桶を頭の上に抱えて歩いている。少年が自転車に1ドル分のバナナを積んで走っている。
5時間半が経過。ルクンギリ県についたというジャクリーンの言葉にほっとする。車が止まる。ルクンギリの役所に挨拶に行くという。一刻も惜しいがしかたがない。ここでも、役人から30分のスピーチをいただいた。急いで車に戻ると、なんと、私が乗っていなかったほうの車が壊れているらしい。その車に乗っていたRさんがいうには、車の底に砂が入る音がしていて、残りのガソリンの表示がどんどん増えていったという。ガソリンを入れる部分に砂が入ったのだろうか? 恐ろしい。時間がないので無理して走りだすが、しばらくして今度はこっちの車が動かなくなった。もう13時。ここからすぐにカンパラに引き返しても8時に着けるかどうかわからないのに、焦るばかりだ。「一台だけで行く。」と、Oさんが断言した。カメラとビデオと通訳がいないとどうしようもないので、Sさんと私とエマヌエルを残した4人が行くことになる。私は筆記の代わりに、Oさんにテープレコーダーを託す。車は走り去った。
私とSさんは、2時間半、そこで待った。エマヌエルがドライバーと一緒に車を直している。日が異様に高い。カンパラは北半球だが、ここはもう南半球。途中で赤道を越えたのだ。南半球に行ったら水が反対周りにまわるのを見たいと思っていたが、私たちの持ってきたミネラルウォーターは車の冷却のために使われ、ほとんど残っていない。このままここに放り出されたら死ぬだろうなあ、と、そう思った。砂漠みたいだった。私たちは車をガススタンドまで押していった。体中が砂だらけで、シャツもジーンズも赤土色に染まった。サングラスも日焼けどめも役に立たなかった。水分が欲しかったのでトマトを食べた。水がもったいないから洗わずにそのまま食べた。これで病気になったとしてもそれは仕方ないだろうという気持ちだった。人々がぽつぽつ通った。子どもも荷物を運んでいた。赤土のこの風景は、テレビで見たルワンダの戦場にそっくりだった。ここは国境だ、あとひとつ山を越えればルワンダだ、と、エマヌエルが言った。こんなところで殺し合いなんかしている場合じゃないだろうと思った。
私はずっと、人間は困難な状態に追い込まれると自分のことしか考えられないと思っていた。でも、このとき、私はさまざまな人のことを考えた。結局目的地までたどり着けないのにもかかわらず私を同行させたことを、皆は後悔しているのだろうか。日本で私たちを支えてくれた人のことを考えた。人は協力しなくてはならないのだ。そうしないと生きていけないのだ。たぶん。そう思った。
2時間後、Oさんたちは、岡崎君たちはそのガソリンに砂の入った車で何とか帰ってきた。途中、カメラの三脚を銃ではないかと怪しまれたという。
あとは、ひたすらもと来た道を走った。車が煙を吐かないことを祈りながら。やっとンバララについたのが5時。みんな心配しているに違いない。ホテルに電話し、休憩してバナナを食べ、また150キロでぶっ飛ばして帰った。どんどん日が落ちて暗くなるのに。怖かった。星が、車のガラス越しにさえ降るように見えた。
8時半カンパラにつき、9時にホテルに着いた。2人のドライバーに、心からお礼を言って降りた。他のメンバーたちは、私たちルクンギリ隊が帰らないので心配していた。ウガンダのメンバーも、さよならパーティーを遅らせて全員でテラスで待っていた。体中土と埃だらけでテラスに現れた私たちを見て、「お帰り!」と拍手しかけていた他のメンバーたちは驚いていた。「一体どんなところへ行ったの!」と叫ばれた。「シャワーを浴びてきていいよ。」と言われ、これ以上待たせるのは申し訳なかったが、このままでは誰も近寄ってくれそうにないので素直に従った。一人で部屋に行って、すぐにシャワーを浴びた。水しかでなかったが、気にならなかった。石鹸で全身の赤土を落とした。最高の気分だった。もう使いものにならないくらい土色に変色してしまったTシャツを石鹸水の中につけてから食堂に行った。みんなが歓迎してくれた。ウガンダのメンバーが「サトウキビも食べるか?」と言って茎を一本くれた。また「日本への食糧援助だ」と言って大笑いになった。ご飯を食べられる幸せ。シャワーを使える幸せ。みんなの気遣いがとても嬉しかった。私は「ウガンダティー」などを飲みながら、皆にルクンギリでの惨事を楽しく話した。皆はこの日、副大統領とのレセプションのあと、孤児院を訪問し、YWCAの雌牛のプロジェクトを見に行って、マーケットまで行ったそうだ。YWCAでいただいた昼食がとてもおいしかった、とみんな口々に言った。私が、ウガンダから食糧援助を受けた話をすると大笑いになった。私は、疲れてはいたけれど、それを周りに感じさせないようにした。この行程の中で、私が何よりも努力したのはそのことだ。みんな自分のことだけで大変なのだから、自分のことは自分で管理する、これが基本中の基本だ。自分が確かでいることは、もうそれだけで何よりも全体に貢献することになると思う。これは、日常生活でも常に気をつけるべきことかもしれない。

もう明日はエチオピアに戻るので、ジャクリーンやエマヌエルにもう一度プロジェクトについての説明を受けて、視察のレポートと記録文書を完成させていたら12時を過ぎてしまった。部屋に戻る途中、Oさんに、今日をねぎらう会に誘われた。ウガンダとのお別れにMIRINDAを飲み、ウガンダの「ナイルビール」を奢ってもらった。ナイル川の水を使ったビール。小さな瓶に入っていて、いくつもの種類がある。朝会った受付係が、“Welcome back. from ルクンギリ”と言いながら栓を抜いてくれた。
テラスで、午前3時のカシオペア座を見てから眠った。

つづく


        
 

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