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Fence-sitting


活動家時代の記録 ♯8 
エチオピア・ウガンダ訪問 第7日目
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1998年8月9日  

GYC最終日。また公開会議だ。みんな気合いを入れているのだが、その割には朝からトラブルばかり発生していて、私はまた、朝早くビジネスセンターに行き、コピーを取る羽目になる。「モトゲン!」と叫ぶお兄さんがまたいた。コピーを取りながらニコニコして、「日本での君の仕事は?」ときいてきた。「高校生」と答えるとちょっと驚いていた。「でも将来は国連職員になりたい」と言うと、「それはいい。ECAかね?」と言われた。「また必ずここに仕事をしにおいで」と言われた。それにしても、日本人がアフリカ経済委員会に配属されることなど、あるのだろうか?
またまた開会ギリギリに会場へ飛び込まねばならなかった。きょうも1日目と同じ、国会スタイルの会議場だ。MCはウガンダのジャクリーンという女の子。
「昨日で、決めるべきことは全て決まってしまいました。具体的な行動計画は話され尽くしてしまったわけです。きょうの午前中は自由発言(シェア)です。」
次々と発言があった。日本人もよくしゃべった。よくしゃべるのはいいのだが、一つ失敗があった。
私たち日本人は日本語でしゃべるしかないのだが、せめて最初と最後の“Thank you.”くらい英語でいいたいという気持ちがある。 そこで私たちは、これまでの会議で何度となく体験してきたことだが、発言の時には軽く右手の親指と人差し指でLの形を作って手を挙げ、指名されたら始めに、MCあるいは議長に向かって“Thank you, Mr.Chairman.”と語尾上げで言う、というのを実践してきた。それが、国際会議で各国のメンバーがよくやるマナーのひとつだと思って。
今日も、日本メンバーは張り切ってLの字を挙げて"Thank you, Mr.Chairman."と言ってしまったのである。ジャクリーンに! 女性には"Thank you, Madam Chair.”と言うのが正しいのに…。冷や汗ものである。

と、こんなハプニングもあったものの、すばらしい発言が次々と生まれた。YEHがある程度話し終えるると、ジャクリーンは今度は、会議場の後ろの方に座っていた大人のオブザーバーにも発言を求めた。それが終わると、
「では、次は通訳の感想を伺いましょう。」
日仏の通訳はしばらく沈黙したあと、こう言った。
「通訳に意見を求められたのは、20年の通訳人生の中で初めてですし、このあとも決してないでしょう。」
そして、自分で自分の発言を逐次通訳しながら続けた。
「私たちはサイマルで長年厳しい訓練を受けてきています。通訳は常に中立であらねばならないと。でも、今度ばかりは私はあなた方に味方したいです。」
続いて日英の通訳が言った。
「イギリスに長年住んでいます。日本を離れていて聞こえるのは日本の若者たちの悪いニュースばかり。でも、あなた方を見て私は日本の若者も捨てたもんじゃないと思います。」
スペイン語の通訳は
「私も中立ではいられない。昨日の夕方の、30分でフローチャートをまとめたあの速さに驚きました。自分の子どもにこの会議を教えたい」
さらにジャクリーンは会議室の警備員にまで感想を求めた。

閉会式はまたプレス入りで、来賓をたくさん迎えて行われた。駐エチオピアユニセフ次席代表のアンドレ・ラ・ピエール氏はまた来てくれていた。世界署名リーダーのYさんが、孤児の子どもたちと一緒に署名達成の報告のセレモニーを行った。Yさんは今までずっと、私を物質的にも精神的にも署名のことで支えてきてくれた人だ。1995年にユニセフ本部でキャロル・ベラミー事務局長に署名を渡した彼は、今年も本当はベラミー氏に渡したかったんだろうけど、さすが世界リーダー、堂々とピエール氏に向かって
「私たちは子どものために署名を集めたのです。だから、この署名を子どもたちと一緒にユニセフに渡したい」
と言い、孤児の子どもたちを連れて舞台に立った。

アジズアベバ決議文を採択し、全員に参加賞が授与されてから、最後にみんなで"Sound of Peace"を歌った。肩を組むだけではなく、全員が肩を組んだ状態で次々と舞台に駆け上がるのが、GYC閉会式の習わしだった。今回も、皆が壇上に駆け上がり、来賓と肩を組んで、写真撮影。もちろん通訳の方々もお呼びして、写真に入っていただいた。通訳ブースから出てこられたところで、大拍手になる。全員で舞台に入り乱れ、議長席の椅子なんかにのぼったりと無茶をした。国連の会議場でこんなことをして、いいのだろうか?

夜は打ち上げ。クラウンホテルというエチオピアの伝統的な竹葺きの家屋の中で、本場エチオピア家庭料理を食べながら各国のカルチャーショーをした。エチオピアの主食、インジェラを食べた。インジェラは穀物を食パン状にでこねて焼いたもので、ヤマザキのソフト食パンのみみ以外の白い部分に食感が似ている。でも見た目が悪い。巻いてあるのだ。初めてみたときはおしぼりかと思った。色も悪い。ウグイス色とベージュを混ぜたような色。味は酸っぱい。そのままでは食べられたものではなく、そこにスープや肉汁やスパイスの料理をつけて食べるとまあ何とかそれなりに食べられる。
インジェラの次に驚いたのは、ヤギの丸焼き。本当にに丸ごとヤギの形をしていて、たぶん直火で焼いたのだろうが、テーブルにどーんと立っていた。腰ミノをつけたホテルのコックが、「切ってやろう」と言いながら腰のあたりにナイフを入れきれいに取ってくれた。味はチキンとあまり変わらない。
全員で乾杯をして、ホテルがサービスで演奏してくれたエチオピアの音楽に合わせてエチオピアメンバーが歌い、全員で踊ってディスコ状態になった。GYCの打ち上げというと、いつも必ず踊る。海外のメンバーは踊りが好きなのだ。ニューヨークでもディスコのホールに行ったし、インドでもインド音楽のテクノ系みたいな音楽が流れて誰もが踊っていた。サイマルの通訳の方々も参加してくださっていた。
各国の歌あり踊りあり、スピーチあり、のパーティーは日付が変わるまで続いた。皆、疲れを忘れて踊り楽しんだ。実はこの、ちょうど私たちが乾杯をした時間に、隣国ケニアのアメリカ大使館襲撃事件があったのだが、それは明日。



つづく


        
 

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