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Fence-sitting


活動家時代の記録 ♯9 
エチオピア・ウガンダ訪問 第8日目
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1998年8月10日  

昨日遅かったため、今日は8時朝食。昨日の晩とはうって変わり、朝食の時間は重苦しい空気だった。昨夜はみなホテルに帰ってからすぐ寝てしまったし、ニュースも終わってしまっていたのだが、エチオピアのメンバーたちは今朝自宅の新聞でケニア大使館の襲撃事件を読んできていた。それが報告され、私たちは沈黙した。日本のオフィスからはすでに、安否を問うFAXが来ているという。知らぬが仏とはこういうことを言うのだ。「遠い日本の方がよっぽど情報のキャッチが早いな」とスタッフが言った。

今日はみんなで、エリトリアとの紛争で逃げてきた難民のキャンプの中の「命の希望幼稚園」を視察に行く。ムセが提案して95年から始められたプロジェクトだ。サイマルの通訳のうち日本人3人がおっしゃった。
「今夜6時にホテルを出ますが、それまでフリーなので、今日1日はボランティアで皆さんの通訳をしまから、私たちも連れていって下さい。」
私たちは大拍手で感謝した。

幼稚園にはトタンの建物の中に椅子も机も黒板もなく、子どもたちは土の床に座ってアムハラ語(エチオピアの言語)のアルファベットや英語を復唱していた。歌の授業もあった。2教室あるのだが、どちらにも子どもはぎっしり詰め込まれていた。そして、幼稚園の建物の外も、子どもだらけだ。ハエがものすごく多い。写真をとって、名前を教えて、歌って、と、アムハラ語で実に賑やかだ。私のテープレコーダーでテ彼らの声や歌を録って再生してみせるとたいへん受けた。ほんの1時間の間で何十種類もの歌を歌ってくれた。
1時間あまり、YEHメンバーはそこで子どもたちと戯れていた。幼稚園にTシャツやボールやおもちゃ、ぺんてるから寄付されたクレヨンなどを贈り、帰るときになって、バスに乗ろうとしたとき、一人の子どもが、"Money"と言った。それが、そこの子どもたちからきいたたったひとつの英語だった。日本の60代の大人のオブザーバーが言った。
「終戦後日本の子どもたちは、ギブミーチョコレート、という英語だけを覚えてアメリカ兵に叫んだものよ。」
難民キャンプの中をバスで帰るとき、バスに石を投げられた。
「難民というのは初めからこんな暮らしをしていたのではない。彼らにはプライドがある。子どもはいいけれど、外国人が見に来ることをよく思わない人もいるんだ」
とムセが言った。

次に、アカキという地区の農業プロジェクトを視察し。私たちが行くその一週間前に、先発隊の数人はここを訪れていたという。その人たちが、バスを降りた途端に「えっ!!」と叫んだ。「ここは川じゃなかったでしょ?!」村人によれば、昨日の雨で川が氾濫して畑の半分が水に浸かってしまったという。絶句する私たちに、「洪水は毎年のことですから。肥沃な土地を運んできてくれるので、感謝しているくらいです。」とのこと。本当に、誰も全然がっかりしていない。落ち込む日本人に、「食べるか?」と差し出してくれたのはナマの赤カブ。洪水後の川の泥水で洗ってくれた。
村の人に招かれて、小屋の中に入り、Tシャツをプレゼント。村人のスピーチの中で、「私たちは伝統的な農業を生かして頑張っている。我々は互いに民族が違います。でもひとつになってやっていく、そうすればうまくいくんです」というのがあった。ケニアのニュースをきいた日だっただけに感動した。

そこからバスに10分乗って、同じアカキ地区の小学校に行った。道が雨でぬかるんでまともに歩ける状況ではない。長靴が必要なくらいだ。道を歩いて、というよりどろをかき分けて学校についた。ここはトタンすらなくて、土壁に藁と牛糞を塗り込んである。雨が降ったらどうするんだろう。一刻も早く、せめて屋根だけでもトタンにしたいそうだ。さらに椅子も石でいいから入れたいそうだ。子どもが地べたに座って先生を見上げるのは、首が疲れるので、発育上もよくないのだという。ここにも子どもたちがあふれていた。

午後、ホテルに帰る。明日は早朝にウガンダに発つので、今日はこれからフリータイム。アカキに行ったせいで靴がとても汚れていて、今日これから洗って乾かすこともできず、かといってこのまま空港に行ったら飛行機に乗せてもらえなさそうなので、皆で困っていた。するとエチオピアメンバーのアビが
「ホテルの前に靴磨きの子どもたちがいる。2ブルで磨いてもらえばいい。」
と言う。2ブルは約40円。外をのぞくと、確かに子どもたちが道に座って靴磨きの客引きをしている。明らかにストリートチルドレンだ。ストリートチルドレンの仕事を助けるようなことをしていいのだろうか。それではいつまでもこの子たちは働き続けるだろう。児童労働をなくすには、などと会議で話し合った私たちが子どもに靴を磨かせていいのか。いろいろな思いがよぎる。しかしそれをアビに伝えるだけの英語力が私にはない。日本人の友人Mさんにそっときいてみると、
「いいんじゃないの。君はベガー(物乞い)にお金をあげないか? 自立の妨げになるって言うけど、自立以前の問題だよ。この子たちの前にあるのは。お金をあげるだけの援助は駄目って言われるけど、彼らはビジネスだろ。俺たちはたまたま靴を磨いて欲しい。だから頼む、それはいけないことか? 君も、何度も途上国に行ってるんだからわかるだろ? ベガーにお金を渡すことが相手にとってもなんでもないことだってことは。」
そうだなぁ。いろいろ考えた末に磨いてもらうことにする。でも、相手の前に足を出すことはさすがにできないので、サンダルに履き替えてから靴を脱いで持ってきて、彼らに手渡した。アビがついてきてくれて、靴磨きのその子の言葉を訳してくれた。
「お金を貯めて学校に行くんだ。」
「年はいくつ?」
どうみても8歳くらいの身長なのに、12歳だった。私の下の弟と同じだ。とてもそんな風には見えなかった。2ブル払って、お礼を言ってホテルに戻った。大学生のメンバーたちと、ちょっとしたミーティングをするためにラウンジに行った。カフェオレが3ブルだった。

つづく


        
 

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